ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALお、どうして私が永遠を求めて、全ての円環の中の円環たる結婚指輪を求めて、――生成と回帰の円環を求めて、熱情に燃えぬはずがあろう? (34)最後に、「ロンドンの日曜日の午後のスペクトル的性質」という表現に関連して、デ・キリコは『回想録』の中で次のように述べている。ジュール・ヴェルヌは、八十日間世界一周の旅を終えたフィリアス・フォッグの首都への帰還[ritorno]を描きながら、おそらく意識はしていなかったのだろうが、ロンドンの形而上学を見事に表現している。フィリアス・フォッグが美しいインド婦人と忠実な召使パスパルトゥーを伴ってロンドンに着いたのもまた、やはり日曜日の午後だったのだ(35)。フォッグ氏がロンドンに到着したのは実際には金曜日である、ただし読者はトリックが明かされるまでは土曜日だと思い込まされる。デ・キリコは思い違いをしているのだろうか。その可能性も完全には否定できない。だが一方で、物語のクライマックスをなすトリックをデ・キリコが忘却しているとは考えにくい。またヴェルヌのテクストからは具体的にどの部分が「ロンドンの形而上学」を示しているのかが判然としない。「形而上芸術について」の記述によれば、この日曜日の午後は「スペクトル的性質」、言い換えれば「幽霊的性質」を帯びている。何故か。それはこの日曜日が実際には土曜日だからではないか。ヴェルヌのトリックによって読者はフォッグ氏と共に架空の日曜日を迎えることになる。実際には、それは過ぎ去ったと思われたはずの土曜日(賭けの期日)だった。この過ぎ去ったはずの土曜日の回帰、「幽霊」としての土曜日である日曜日を、あるいは逆に文字通り架空の「幽霊」としての日曜日を、デ・キリコは「スペクトル的(幽霊的)性質」という語で示していると解釈することができる。そしてこの「幽霊」としての土曜日の回帰によって、結果としてフォッグ氏は賭けに勝ち、円環の体現者、永遠回帰の寓話的体現者となるのである。幽霊たるフォッグ氏は無限回、読者の許に回帰して、こう告げることだろう。「皆さん、帰って参りました(私はここにいます、皆さん)[Me voici, messieurs]」(36)。以上、デ・キリコとヴェルヌの『八十日間世界一周』の関係について考察を行った。「形而上芸術について」においてデ・キリコはヴェルヌに言及している。本論ではその理由の一端について『八十日間世界一周』を焦点として考察を行った。『八十日間世界一周』の挿絵には、デ・キリコ作品と共通する汽車のイメージを見出すことができる。また『八十日間世界一周』はデ・キリコの理論的根拠であったショーペンハウアーとニーチェの思想の寓話として捉えることができる。ショーペンハウアーによれば人間の認識する世界は全て脳内の表象に過ぎない。デ・キリコはこうした世界観を「形而上学的室内」として表現した。『八十日間世界一周』は、この脳内=「室内」の旅の物語として捉えることができ、この意味でショーペンハウアーの言う「表象としての世界」の寓話となりうる。またフィリアス・フォッグ氏は文字通り「自分自身から逃走し、最も広大な円を描いて自分自身に追いつく魂」であり、ニーチェの永遠回帰思想の寓話的体現者となりうる。こうした理由によってデ・キリコは『八十日間世界一周』に言及したものと考えられる。デ・キリコにおいて『八十日間世界一周』は、形而上学的室内における円環の寓話であり、たとえば《福音書的静物I》[図10]では「室内」に地図と共に「円環」を示す菓子が描かれているが、この物語はまさにこうしたイメージと呼応するものである(37)。文献略号De Chirico (1985): Giorgio de Chirico, Maurizio Fagiolo(ed.), Il meccanismo del pensiero. Critica,polemica, autobiograpfia 1911-1943, Giulio Einaudi,Torino, 1985.Nietzsche (APZ) : Frederic Nietzsche, Henri Albert(tr.), Ainsi parlait Zarathoustra: Un livre pour tous etpour personne, Mercure de France, Paris, 1914 [26thedition, 1st edition: 1898](フリードリッヒ・ニーチェ著、吉沢伝三郎訳『ツァラトゥストラ』ちくま学芸文庫、上下巻、1993年).Verne (1873): Jules Verne, Le tour du monde en quatre-vingtsjours, J. Hetzel et C ie , Paris, 1873(ジュール・ヴェルヌ著、鈴木啓二訳『八十日間世界一周』206