ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

形而上学的室内の円環――ジョルジョ・デ・キリコと『八十日間世界一周』――岩波文庫、2001年).注(1)Verne (1873).「ル・タン」紙への掲載は1872年。ヴェルヌ作品におけるこの小説の位置づけについては以下を参照。石橋正孝「コミュニケーションとしての小説――ジュール・ヴェルヌの連作『驚異の旅』における『八十日間世界一周』の位置――」『フランス語フランス文学研究』日本フランス語フランス文学会、93号、2008年、pp.139-152.またヴェルヌに関する書誌としては以下を参照。石橋正孝、私市保彦編「ジュール・ヴェルヌ《驚異の旅》書誌」「ジュール・ヴェルヌ主要研究書誌」『水声通信』27号(特集ジュール・ヴェルヌ)、水声社、2008年、11/12月、pp.187-200.(2)Jules Verne, Une ville flottante, J. Hetzel et C ie ,Paris, 1871(ジュール・ヴェルヌ著、山崎剛太郎、江口清訳『洋上都市』パシフィカ、1979年).(3)Giorgio de Chirico,“Sull’arte metafisica,”in:Valori plastici, vol.1, nos.4-5, aprile-maggio 1919,reprinted in: De Chirico (1985), p.83.ヴェルヌについては、デ・キリコの弟アルベルト・サヴィニオ(1891-1952)も、その生涯を紹介する文章を残している。Alberto Savinio, Sandra Ducrot (tr.),“Jules Verne,”in: Hommes, racontez-vous, Gallimard,1978, pp.103-116.(4)デ・キリコとヴェルヌ作品全体との関係については今後の課題としたい。またここで問題とするのはあくまでデ・キリコを通したヴェルヌであり、『八十日間世界一周』に新たな解釈を行うことは本論の目的ではないことを断っておく。(5)デ・キリコとニーチェ、ショーペンハウアーとの関係については以下で論じた。長尾天「デ・キリコの無意味」『イヴ・タンギーアーチの増殖』水声社、2014年、pp.77-104.(6)Jean Clair,“Dans la terreur de l’histoire,”in:Jean Clair et al. (eds.), De Chirico (exh.cat.), CentreGeorges Pompidou, 1983, pp.49-50; Ara H.Merjian, Giorgio de Chirico and the MetaphysicalCity: Nietzsche, Modernism, Paris, Yale UniversityPress, New Haven & London, 2014, pp.200-203.(7)汽車以外にも、汽船、甲板、客室、「ジャガンナートの山車」と呼ばれる人間ピラミッドのイメージなどにもデ・キリコと共通するイメージを見出すことは不可能ではないが、議論が瑣末になりかねないため、ここでは扱わない。(8)イタリア語訳ではフランス語版と同じ挿絵が使用されている。Giulio Verne, Il giro del mondo inottanta giorni, 4 vols., S. Muggiani, Milano, 1876.フィリップ・ド・ラ・コタルディエール、ジャン=ポール・ドキス監修、私市保彦監訳、新島進、石橋正孝訳『ジュール・ヴェルヌの世紀科学・冒険・《驚異の旅》』東洋書林、2009年、p.44.「驚異の旅」シリーズの装丁については、同書のカラー頁に写真が掲載されている。(9)本論で参照した岩波文庫版の邦訳では、中表紙と扉絵は省略されているが、筆者が参照した原著にはない挿絵が2図収録されている。「ボンベイの舞姫たち」(p.99)と「鉄道は全行程中の最高地点に達した」(p.351)である。これらは考察から除外した。また原著にあった世界地図は、この邦訳では表紙のデザインに使用されている。(10)Verne (1873), p.48(邦訳p.108).(11)Verne (1873), p.152(邦訳p.319).(12)Verne (1873), p.160(邦訳p.329).(13)Verne (1873), p.161(邦訳p.348).(14)Verne (1873), p.169(邦訳p.363).(15)Verne (1873), p.177(邦訳p.374).(16)De Chirico (1985), p.15.(17)たとえば以下の部分を参照。アルトゥール・ショーペンハウアー著、塩谷竹男、岩波哲男訳『ショーペンハウアー全集5意志と表象としての世界・続編I』白水社、1996年、pp.15-42.デ・キリコはショーペンハウアーとニーチェを仏語訳で読んでいる可能性が高い。長尾前掲書、pp.77-104; Gerd Roos, Giorgio de Chirico e AlbertoSavinio: Ricordi e documenti Monaco MilanoFirenze 1906-1911, Bora, 1999, pp.283-299.当時の仏語訳の該当部分はArthur Schopenhauer,Auguste Burdeau (tr.), Le monde comme volonte etcomme representation, t.2, Felix Alcan, 1913 [6thedition, 1 st edition: 1888-1890], pp.139-154.(18)Verne (1873), p.3(邦訳pp.10-11).(19)Verne (1873), p.31(邦訳p.70).(20)Verne (1873), p.18(邦訳p.41).207