ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL1.調査の経緯と課題(城倉)早稲田大学文学部考古学コースでは、下総龍角寺の過去の調査成果を再評価すると同時に、新しい視点での測量・発掘・整理などの調査研究を進めている(城倉2015など)。飛鳥山田寺と同型式の三重圏文縁八葉単弁蓮華文軒丸瓦・三重弧文軒平瓦を葺き、白鳳期の薬師如来坐像を本尊とした龍角寺は、東国最古級の寺院として著名である。一方、周辺の遺跡に目を向けると、龍角寺の東方には殯施設とされる尾上遺跡、西南には埴生郡衙跡とされる大畑Ⅰ遺跡や古墳~奈良平安期の集落である向台・酒直遺跡が所在する。さらに、埴生郡衙東南側には、大小113基以上で構成される龍角寺古墳群が存在し、龍角寺を造営した氏族の奥津城と考えられている。龍角寺周辺は、古墳時代から古代への地域社会の動態を研究する上で、稀有なフィールドである。龍角寺出現の歴史的意義を考究するには、地域社会を多角的に分析する必要がある。中でも龍角寺の造営に関わった勢力の遡源を追求する作業が重要になる。川尻秋生は、平城京二条大路木簡の「左兵衛下総国埴生郡大生直野上養布十段」の記載を手がかりとして、埴生郡司を大生直氏と推定した。そして、『国造本紀』にみえる印波国造のもともとの本拠地が律令制下の印旛郡(印旛郡司は丈部直)にあったものから、古墳時代の終わり頃に律令制下の埴生郡にいた国造一族、あるいは新興勢力が拡大して印波国造になったと考えた(川尻2003・2009)。一方、杉山晋作も印波国造は印旛沼全体から利根川下流域まで勢力を持っていたが、大化の建評の際に、埴生と印旛に分割され、龍角寺の造営後に再び埴生の東の香取が分割された説を提唱している(杉山1995)。これらの議論の背景には、公津原古墳群と龍角寺古墳群の盛行時期の差異、龍角寺周辺集落遺跡の動向、集落出土の墨書土器や龍角寺の文字瓦の解釈、埴生郡衙関連遺跡の掘立柱建物の存在など、考古学的調査に基づく認識の進展がある。特に、龍角寺を造営した氏族の奥津城とされる龍角寺古墳群の群構造とその動態、年代をどう把握するかにより、龍角寺の歴史的位置付けは大きく変わる。終末期の前方後円墳とされる浅間山古墳、日本最大級の方墳である岩屋古墳、両者の位置付けが最大の課題である。浅間山古墳は、発掘調査の正式な報告(千葉県史料研究財団2002)が刊行されており、岩屋古墳も近年、栄町教育委員会・印旛郡市文化財センターによる発掘と整理が行われている。一方で、龍角寺古墳群の中小規模墳は、近年、目立った研究が蓄積されておらず、新たな視点での基礎的な調査研究が必要である。特に、浅間山古墳の墳丘の遡源を追求する作業は、龍角寺古墳群の構造・動態・年代を考える上で必須の作業である。以上の問題点を踏まえ、城倉は龍角寺古墳群中三番目の規模を誇る前方後円墳である50号墳のデジタル測量・GPR調査を計画し、千葉県教育委員会・栄町教育委員会の許可を得た後に、平成26度の公益財団法人髙梨学術奨励基金(若手研究助成)に申請した。幸い、研究課題が採択され40万円の交付を受けることができたため、2014年12月、及び2015年2月~3月に調査を実施した(2)。以上が龍角寺50号墳調査の経緯である。次には、龍角寺古墳群の研究史を概観し、本調査の課題と目的を整理する。龍角寺古墳群の研究史については、「千葉県立房総風土記の丘」の学芸員による整理(高木1978・1996、根本1988・深澤1988など)や浅間山古墳での整理(千葉県史料研究財団2002)があるため、ここでは前方後円墳を基礎とした古墳群の動態と墳丘に関する調査・分析成果を中心に論点を整理する。まず、龍角寺古墳群を初めて体系的に調査・分析したのは甘粕健である。甘粕を中心とした東京大学のグループは、龍角寺古墳群の分布・測量調査を踏まえて、畿内の大型前方後円墳との比較及び古墳群内における墳丘形態の分析を行い、群構成の把握と年代の整理を行った(甘粕1964)。甘粕の分析精度は極めて高く、その後の研究の方向性を大きく決定付けた。特に、墳丘の分析では龍角寺古墳群内の主要な前方後円墳について、くびれ部の位置を中心とした分類を行い、21号墳(本文では現在の古墳番号に統一)をB型【DC +α型】、70号墳をD型【DC + 2α型】、浅間山・50・57号墳をE型【( CD+α)×(R +α)型】とした。そして、B型を前期型式、D・E型を後期型式とした上で、特にE型の浅間山古墳と同型の古墳として正円寺二子山・簗瀬二子塚古墳、50号墳と同型の古墳として後二子古墳・天川二子塚古墳を挙げている。さらに、浅間山・57・50号墳を一系列の古墳とし、CPの数値が小さくなる方向性から前後関係を浅間山→57→50214