ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

千葉県栄町龍角寺50号墳のデジタル三次元測量・GPR調査号と想定した。以上、墳丘の分析を踏まえた上で、甘粕は大型前方後円墳を中心として前方部の方位を同じくするグルーピングを行い、大型前方後円墳の被葬者を「龍角寺古墳群を形成する小集団の連合体の首長であるとともに、それが属している小集団の長としての属性も兼ね備える」と規定した。一方で、浅間山古墳や岩屋古墳、公津原古墳群の船塚古墳・天王塚古墳などを超大型古墳とし、印旛地方全体の統一的首長墓の系列と考えた。そして、浅間山古墳の被葬者は印旛地方の統一的首長であると同時に、57・50号墳に繋がる系譜から龍角寺における集団の首長の系譜に連なるものと想定した。すなわち、小型前方後円墳:各支群、大型前方後円墳:龍角寺古墳群、超大型前方後円墳:印旛地方、被葬者はそれぞれの集団の首長としての性格を持つという階層構造を考えたのである。以上、甘粕の研究は墳丘の精度の高い分析により、龍角寺古墳群の階層構造を明らかにしている。その後の測量調査の成果(千葉県教育庁文化課1982)や、大畑遺跡(石田1985、千葉県教育委員会1986・1987、小林1985、米田・小牧1994など)・向台遺跡(石田1985)・酒直遺跡(福間1986)などの集落の動向を踏まえた研究(原田1984、萩原・原田1985、深澤1988)によって古墳の基数や方位などが実情に合わない点が指摘され、支群のグルーピングに対する変更はあったものの、基本的な論理構造自体は今なお有効だと考える。甘粕の分析後、龍角寺古墳群の前方後円墳の研究が飛躍的に進んだのは、浅間山古墳の測量(白石ほか1996)と発掘(千葉県史料研究財団1998・2002)調査の成果が大きい。発掘報告書によると、浅間山古墳は墳丘長77.6~78.0m、後円部径52.0m、くびれ部幅37.0m、前方部幅58.0m、前方部長32.5mの前方後円墳で、相似形の周溝がめぐる。第1・2段が低く、3段目が高い3段築成とされる。筑波石を用いた複室構造の横穴式石室は、旧表土下に構築され、後円部南側の下段テラスに開口する。報告書では、石室の構築年代を7世紀第1四半期と想定する。一方、墳丘に関しては、沼澤豊の分析手法を沿用した萩原恭一が、後円部径の12等分値を基準とし、主軸長18・後円部径12・前方部幅13.5・前方部長6という分析値を出した上で、50・57・70号墳の外形が一致する点を指摘した。この点は、甘粕の研究成果を踏襲するものだが、その年代観については外表施設としての埴輪の有無から、57・70→50・浅間山の順序を想定した。さらに、浅間山古墳の外形に類似する古墳として、群馬県の二ツ山1号墳、及び栃木県の壬生茶臼山古墳・壬生長塚古墳を挙げている。なお、栃木県の事例は、思川・田川水系に集中する「基壇」を持つ古墳とされている事例である(進藤2002) (3)。これら「基壇」古墳を分析した沼澤豊は、テラス幅3単位でテラス面が古墳外平坦面より高い1型(壬生茶臼山古墳・壬生愛宕塚古墳)、テラス面が古墳外平坦面とほぼ同じ2型(第1段斜面が高い2aと低い2bに細分。2a:吾妻岩屋古墳・国分寺愛宕塚古墳、2b:壬生長塚古墳)に分類し、1→2a→2bと第1段の低平化が進む点を明らかにした(沼澤2004)。さらに、前橋大室古墳群の中二子古墳・前二子古墳が壬生茶臼山古墳(1a)に、後二子古墳が吾妻岩屋古墳(2a)に、小二子古墳が壬生長塚古墳(2b)に共通すると指摘した。沼澤の研究成果を引用しつつ、浅間山古墳と群馬・栃木県のテラス面が広い前方後円墳との類似性を指摘した萩原の分析は、やはり群馬県の墳丘との類似性を指摘していた甘粕健の成果に通じる。香取海南岸に位置する龍角寺古墳群は、西側に鬼怒川の河口を望み、水上ネットワークを通じて下毛野、あるいは上毛野東部に繋がりうる立地にあり、浅間山古墳の地域での系譜を踏まえた上で、広域的なネットワークを墳丘を通じて分析する必要がある。以上の研究史を踏まえれば、龍角寺古墳群の研究において、浅間山古墳の墳丘の位置付けが非常に重要な意味を持つことが分かる。甘粕・萩原が浅間山古墳と外形が同じだと指摘する50・57号墳との高精度な比較が必要だが、現状では1982年段階の測量図(千葉県教育庁文化課1982)しか存在していないため、まずは緻密なデジタル三次元測量、及びGPRという非破壊の基礎的調査を進める必要がある。そのため、今回は遺存状況に恵まれた50号墳を選び、高精度な調査を実施することにした。なお、50号墳は、萩原・原田のボーリング調査によって、南側くびれ部のテラス上に横穴式石室の可能性が指摘される埋葬施設が確認された(萩原・原田1985)。1982~86年に実施された龍角寺古墳群の発掘調査(千葉県教育委員会1982・1984・1988)の成果では、墳丘長27mの前方後円墳である24号墳の後円部に粘土槨、くびれ部に時期の下がる箱式石215