ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALが1段の高さであると仮定し、甘粕が想定するこの時期の尺度(東魏尺:高麗尺のもととなったとされる尺、1尺= 34.3cm)(甘粕1965)で割ってみると、7.5尺の近似値が得られる。逆に2.6~2.7mを7.5で割ると、1尺長は34.6~36cmとなる。『令集解』の高麗尺5尺が今尺6尺に相当するという記述と、和銅6年(713年)以降に6尺1歩の令小尺に統一されたという説から考えると、7.5尺は1.5歩と想定できる(大宝令「雑令」〈凡度十分為寸十寸為尺一尺二寸為大尺一尺十尺為丈〉〈凡度地五尺為歩三百歩為里〉など)。ひとまずこれを基準に考えると1尺34.6~36cmであれば、1歩は1.73~1.8mになる。これの平均値は、1.765mである。この数値を基本単位と考えることはできないだろうか。さて、ここで基本単位の議論を一旦置いて、次にはGIS・GPRのデータを踏まえて、50号墳の復原に基づく正確な計測値を示してみる。図14下には、600分の1スケールで10cmContour +5cmメッシュSlope図を提示し、その上にレーダーのTimeSlice平面図を合成した図を示した。GISのSlope図とGPRに見られる反応の強弱の境界で復原線を描き、側面観・後面観を対応させてみた。そこから計測値を示すと、墳丘長41.9m・後円部径28.9m、前方部幅28.8m・くびれ部幅19.2mとなる。甘粕が示した計測値は、墳丘長43.6m・後円部径28.7m・前方部幅30m・くびれ部幅24.8mである。くびれ部幅以外は近い数字である。くびれ部に関しては、甘粕が後円部円周ではなく前方部側に認識し、さらに古墳南西側の広がりを本来の形状と見ているため、大きな違いが生じている。今回の調査では、墳丘北東側の残存度が高い部分を重視し、主軸を中心に反転して復原しているため、甘粕復原とはくびれ部幅が大きく異なる結果になった。1964年の甘粕の復原(第4図)を見ると、後円部の円弧に関しては今回の復原と近いものの、主軸をかなり南側に偏った部分に設定していることがわかる。これは、前方部北西隅角~南くびれ部にかけての墳丘の広がりを最大限に拾うための処置と思われる。実際に、甘粕は前方部幅をかなり広く捉えており、前方部が肥大化した前方後円墳に復原されている。今回の検討でも前方部の復原は非常に難しく、様々な可能性を考慮したが、墳丘北側の残存度が非常に高い点、GPRの反応で前方部北東部隅角と思われる反応が明瞭に確認できた点から、北側を重視した復原を最終的に採用した。主軸と前方部北東隅角、およびPQの隅角ラインは、図14下を見ても分かるように、現状の測量図およびGPR成果と適合的である。もちろん、現状の復原では後円部テラスに比べて、前方部テラスが著しく幅が狭くなる点や、前方部南側の現状と復原が著しく乖離するなどの問題点も残る。しかし、前方部北側と南側では現状の見かけ上の墳裾の傾斜変換点で比較しても、1.5~2m近い比高があり、南側は本来の墳裾からかなり土が流出している可能性が高いと判断する。あるいは、墳丘の片側が斜面に位置するため前方部南北で外形が非対称な施工がなされている可能性も残る(南側テラスに埋葬施設が存在する点から、テラス幅の南北非対称の可能性もある)。以上の状況から、今回の復原では前方部北側に本来の形状(あるいは設計)が反映されていると考えた復原案を提示しておく。今、問題となるくびれ部幅を除外して、墳丘長41.9m・後円部径28.9m・前方部幅28.8m・後円部テラス幅3.53mを前述した1.765mで割ると、24歩・16歩・16歩・2歩の近似値が得られる。想定した基本単位の偶数倍になる点は注目でき、24・16を割り切れる後円部8等分値、その倍数である24等分値でも当然、適合的な数値が得られることになる。以上は50号墳の段築を復原的に考えた数字を用いた試論で、尺長や基本単位を結論付けるにはまだ分析事例が不足している。しかし、少なくとも新納が指摘するように、高さと平面形に共通する基本単位(時代・地域で異なり、古墳毎に異なる可能性もある)が存在し、歩を介在させた墳丘の設計が行われている可能性は十分にあると思う。一方で、後円部径が段築の高さから想定した基本単位の16倍となるため、前述した8等分値・24等分値でも適合的な数値が得られるわけだが、これに関しては基本単位の偶数倍で墳丘各部が設計されている点に起因する可能性も残る。仮に今回想定した35cm前後という1尺長が誤っていたとしても、後円部テラス幅の2分の1、段築高の3分の2が50号墳の設計の基本単位になっている可能性は高い。前方後円墳の設計全てに適用できる後円部等分値の設計原理の追及よりも、時代や地域によって尺度や設計の指向が異なる可能性を模索し、さらに地形の制約や埋葬施設・外表施設の状況などによって現場レベルで設計が柔軟に変更され234