ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

開会の辞あります。このようなマニュフェストを公にしたからには、早稲田大学は、この目標に向かって日々変革が迫られるのですが、それはとりもなおさず、私ども文学学術院での研究・教育は、そのような目標に向かって、どのようにあるべきかを自分たち自身の問題として取り組まなければならなくなったのであります。私はこうした課題に、人文学の研究・教育に携わる文学学術院として取り組むに際し、3つのポイントがあると考えました。第一に、われわれが携わっている人文学は、19世紀以来、日本のみならず、世界的にも国民意識形成に寄与するものとして発展してきましたが、国民国家が衰退する中で、そのような人文学の役割はすでに終えたのではないかという認識です。これは英国のビル・レディングズが1996年に『廃墟の中の大学』で説得力ある事例をもって指摘したことであります(日本では2000年に翻訳書[法政大学出版部]が刊行されましたが、深刻なことに、この著作の冒頭で、大学が「廃墟」となった表象として揶揄的に著者が用いた「エクセレンス」(卓越性)という言葉がこれ以後、むしろ大学の評価を示す語彙として日本で盛んに用いられるようになり、現在に至っています)。第二に、人文学のみならず、世界の大学もまた、19世紀以来、近代国民国家、国民意識形成に寄与してきた事実であります。つまりは、大学はネーション・ビルディングと共に歩んできたという認識です。これは吉見俊哉氏が2011年に『大学とは何か』(岩波書店)という著書で明確に指摘したことでもありますが、それゆえに、吉見氏は、大学の未来を展望するために、近代の大学の起源としての中世の大学から現在の大学の歴史的な変遷をたどっています。第三に、東アジア諸国の大学で研究・教育されている人文学は、近代日本の人文学と深く関わっており、ポスト国民国家の時代の人文学は、それらの隣国との協働の下に議論する必要があるのではないかという認識です。早稲田大学は、戦前からアジア諸国からの留学生を受け入れてきましたが、彼らの母国の人文学の創設に大きな役割を果たしており、東アジアでは、人文学の学問的な範型(パラダイム)を共有しているがゆえに、その克服は一国ではなしえないのではないかという問題意識がありました。おおよそ以上のような三つの認識から、私たちの研究課題を本日のパンフレットに掲げましたとおり、「近代日本の人文学と東アジア文化圏」とし、そのサブタイトルを「東アジアにおける人文学の危機と再生」とすることにしました。ここには、東アジア地域固有の共通した課題に留意しつつ、近代日本が先導してきた20世紀の人文学を自己批判的に検証することによって、東アジア地域における植民地主義を克服し、国民国家を基盤にした人文学からグローバル化の時代が要請する新たな人文学へと知的範型の転換を東アジア規模で図ろうとする大きな目標がこめられています。本日は、安酸敏眞先生、逸見龍生先生、武藤秀太先生をお迎えし、私たちが目指すべき新たな人文学を展望するときの手がかりとして、まず、近代日本が学んだヨーロッパの人文学とはどのような学問であったのか。そして、日本が受容した人文学は現在どのような問題を抱えているのか、さらに、私たちが検証しようとしている人文学を東アジア規模で検討する視座はいかにあるべきか、こういったわたしたちのプロジェクトの今後の展開に不可欠な問題の本質に関わるご発表を頂くことになっています。それゆえ、私たちは、本日のシンポジウムを「キックオフ・シンポジウム」と命名させて頂きました。三先生には、ご登壇をお引き受け下さったことに改めてお礼を申しあげます。また、本日、会場に足をお運びくださった多くの参席者の皆さんに感謝申し上げます。三先生のご発表に基づく参席者の皆さんとの活発な討論を期待しております。はなはだ簡単ではありますが、以上をもって開会の辞にかえさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。240