ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILASシンポジウム「JOURNAL NO.新し3い(2015.人文学10)の地平を求めてーヨーロッパの学知と東アジアの人文学ー」趣旨説明シンポジウム「新しい人文学の地平を求めて-ヨーロッパの学知と東アジアの人文学-」趣旨説明甚野尚志The Purport of the ConferenceTakashi JINNOはじめに「近代日本の人文学と東アジア文化圏―東アジアにおける人文学の危機と再生」のプロジェクトの全体の趣旨は、シンポジウムの趣旨文にもあるように「近代日本が先導してきた東アジアの人文学を検証し、国民国家を基盤にした人文学からグローバル化時代が要請する新たな人文学への転換を東アジア規模で模索すること」にある。今回、本プロジェクトのキックオフ・シンポジウムとして、「グループ1」(研究テーマ「近代日本と東アジアに成立した人文学の検証」) (1)が中心になり、「新しい人文学の地平を求めて-ヨーロッパの学知と東アジアの人文学-」というシンポジウムを企画した。タイトルからもわかるように、今回のシンポジウムは、ヨーロッパの学知と人文学の伝統を考えながら、その上で、それが東アジアの近代人文学の形成にいかなる影響を与えたかを問うシンポジウムになる。また本シンポジウムを企画した経緯をいえば、そのきっかけは、第一報告者の安酸敏眞先生が上梓された人文学に関する書物に触発されてのことである(2)。この企画を作る過程で、研究分担者の根占献一先生にご相談し、他の報告者の逸見龍生先生、武藤秀太郎先生をご紹介いただいた。関係する方々にここで謝意を表したい。1.歴史学にみる人文学の変貌ー「社会史」から「言語論的転回へ」ところで、私が大学生から大学院生の頃、つまり1970年代後半から80年代前半の時期は、日本では歴史研究で社会史ブームが起こった時代である。この背景には、何より大学紛争後の70年代に生じた既存のアカデミズムへの批判があった。1968年に世界中で始まった大学紛争は大学のアカデミズムの制度を根本から批判したが、その結果、人文学では19世紀以降に欧米の世界で発展してきた近代的な学知が批判された。それは哲学ではポストモダニズムの思想潮流を生み、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダらのフランスの思想が日本でも紹介され、近代的な学知の批判が日本の人文学でも強く意識されるようになる。ポストモダニズムの思想は同時に、それまで人文学の考察対象とされなかった分野を学問の対象にする潮流も生んだ。すなわち70年代からは大衆文化も学問的な対象とされ、サブカルチャー論が盛んになる。そしてこのような動向は歴史学にも影響を及ぼし、伝統的な政治史や社会経済史がカヴァーしきれなかった人間生活の様々な側面や社会の周縁的な存在をクローズアップする社会史が注目されるようになった。社会史は最初ヨーロッパの歴史学で起こった潮流であり、フランスのアナール派などの研究が次々と新しい歴史学の領域を開拓し、それらは翻訳を通じ日本の歴史学にも影響を及ぼした。さらに80年代以降の歴史学のパラダイム転換として重要な現象はいわゆる「言語論的転回」がある。「言語論的転回」とは、そもそも文学や哲学の領域から始まった動きだが、やや単純化していえば、書かれたテクストをその書かれた内容の背後にある作者の無意識の思考などから分析していく方241