ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALて、野獣性をもった人間を飼い馴らし、このような教養=人間形成のプロセスを通して、「人間を野蛮から奪い返そうとする運動」を意味してきた。しかしこのような「国民=市民的な人文主義の時代は終焉した」というのである(3)。このような「人文主義の終焉」が遂には「人文学の終焉」を招くことは、ほとんど自然のなりゆきであろう。しかしスローターダイクを持ち出すまでもなく、人文学が今日岐路に立っていることは、それに従事しているほぼ全員が痛感しているところである。それを端的に示している最新の事例は、本年8月4日に打ち出された「『国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点』について(案)」という文書である。そこにおいて国立大学法人評価委員会は、「ミッションの再定義」を踏まえた速やかな組織改革の必要性を訴え、「教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割などを踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的にとりくむべきではないか」と提言している。そこには「効率化」「実用性」「グローバル化」を旗印にした文科省主導の大学改革が、大学と学問についていったいどのような将来像を描いているかが透けて見える。まるで人文学などは私立大学に任せておけばよいといった雰囲気である。経済的合理性と国際競争力の追求を至上命題にして、人間形成に資する人文学的学問や基礎研究を蔑ろにする、実に浅薄な考えであると言わざるを得ない。いずれにせよ、人文学はいまやすっかり窓際に追いやられ、国庫の財政事情次第では「なくてもよい学問」になろうとしている。ヨーロッパの学問史に目を転じると、ルネサンス期の「フマニタス研究」(studia humanitatis) (4)に由来する伝統的な人文学は、古典文献の講読と注解を通じた、人間性の普遍的な涵養を目的としていたが、19世紀以降、近代知のパラダイム変換に伴い、やがて自然科学と社会科学がそこから独立していくことによって、人文学はいわば「残余の学問」となり、ついには自然科学と社会科学をモデルとして、実証的な「人文科学」として自己変革するしか延命できなくなったのである。その意味で、「人文学の死と人文科学の誕生」(5)という西山雄二氏の表現は、言い得て妙である。ヘーゲルの時代には、まだ人文科学・社会科学・自然科学の分化は見られず、むしろ哲学がすべての学問の基礎にあるものとして、知の統合的機能を果たしていたが(6)、「ヘーゲルの死とともに、哲学が諸学問という宇宙のなかで自ら指導的役割を果たすのだと信じることができた時代は終わりを告げた」(7)のである。19世紀の30年代以降、実証的自然科学の長足の進歩と、それに呼応するかのように発展を遂げた社会科学の台頭によって、いわゆる人文学は守勢に立った退却戦を余儀なくされる。ディルタイの「精神科学」の議論も、リッカートの「文化科学」の議論も、所詮は自然科学の学問性を大前提にした、補完的な対抗モデルの模索にすぎない、と言えなくもない。それゆえ、人文科学の将来的可能性は、むしろ科学として自己を再編成する際に投げ捨てた、人文学の原点たるフマニタス=人間形成の理想をいま一度検証し、新たな仕方で「人文科学の論理」(8)を構想することにあるのではないか。「デジタル人文学のすすめ」?しかし「人文科学」全般にまで話を広げると、かなり厄介なことになるし、「人文学」と「人文科学」の関係についても、専門的な概念史的・学問史的研究が必要になるので、以下においては、「人文科学」とは区別された、本来的意味での「人文学」に議論を限定することにしたい。すでに述べたように、現今、人文学の苦境や危機があちこちで囁かれているが、その一方で新しいタイプの人文学を果敢に模索する動きもみられる。それが「デジタル人文学」ないし「デジタル・ヒューマニティーズ」と呼ばれるものである。「デジタル人文学」(Digital Humanities)という言葉は、いまから約10年前にアメリカで生み出され、いまやそれは全米人文学基金をはじめとする様々な研究助成団体から巨額の資金が投じられる研究領域にまで成長している。わが国にも「日本デジタル・ヒューマニティーズ学会」(Japanese Associationfor Digital Humanities)なる学会組織が結成されているそうで、それは狭いアカデミズムの枠を超えて人文的学知の成果を広く市民に提供する可能性を模索している。この学会活動と関連しているかどうか定かではないが、「デジタル人文学」を表題に据えた書物も出始めている(資料5)。248