ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

ページ
251/542

このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている251ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

現在、あらためて≪人文学≫を問う(資料5)「デジタル人文学」に関する書物ルー・バーナード、キャサリン・オブライエン・オキーフ、ジョン・アンスワース、明星聖子・神崎正英監訳『人文学と電子編集―デジタル・アーカイヴの理論と実践』慶應義塾大学出版会、2011年楊暁捷・小松和彦・荒木浩編『デジタル人文学のすすめ』勉誠出版、2013年小野俊太郎『デジタル人文学―検索から思考へとむかうために』松柏社、2013年最初に挙げた本の帯には、「人文学の未来を考える――デジタル技術と人文学との出会いは、いったい何をもたらしたのか――われわれはいま何を考え、どのように行動すべきなのか――」と記されており、そこにはデジタル技術を積極的に活用しながら人文学の新しい可能性を追求する姿勢が窺える。筆者はこの方面にはまったく暗く、「デジタル人文学」を論評する資格をもたないが、自分なりの危惧の念については、拙著に簡単に示しておいた(9)。4 4要点を述べれば、人文学は「人間とその文化を総合4 4 4 4 4 4 4 4的に探究する学問」であるのみならず、フマニタス=人間形成に資する学問でもある以上、どんなに優れた処理能力をもつデジタル機器が利用できるようになったとしても、その担い手はあくまでも人間でなければならない。そしてデジタル的な機器や情報は、アナログ的な人間知や判断との協働によってはじめてその価値を発揮するものだ、ということである。筆者としては、「デジタル人文学」の主唱者たちのように、人文学の新しい可能性をデジタル技術との結合の方向に求めるのではなく、むしろ人文学をその本質に即して、その「源泉へ」(ad fontes)と遡源しつつ問い直し、思想史的かつ文献学=解釈学的な作業を通じて、人文学の新しい可能性を探ってみたい。これは自分自身がこのような仕方で研究をやってきて、それなりの手ごたえを感じているからである。これは一種の温故知新的な試みにほかならないが、温故知新とは「煮つめてとっておいたスープを、もう一度あたためて飲むように、過去の伝統を、もう一度考えなおして新しい意味を知る」(10)ことである。「フマニタス研究」としての人文学は、ルネサンス期にその十全な基礎が確立されたが、「ルネサンス」(Renaissance)とはrebirthつまり「再生」の意味であり、したがってこれは一種のリバイバル運動である。そうしたリバイバル運動のなかで胚胎・成長した人文学の精神は、まさに東洋でいう「温故知新」のそれに合致する。筆者なりの人文学の捉え方は、実はそういう「温故知新」の精神に触発され、具体的な思想史的かつ文献学=解釈学的な作業を通じて、ある相貌をもつものとして獲得されたものである。ベークの「認識されたものの認識」冒頭で述べたように、筆者はキリスト教学の研究者であり、トレルチ研究(Ernst Troeltsch: SystematicTheologian of Radical Historicality. ScholarsPress, 1986)でヴァンダービルト大学から、レッシング研究(『レッシングとドイツ啓蒙』創文社、1998年)で京都大学から学位を得たが、いずれの研究も膨大な量のドイツ語文献を、ただひたすら読んで解釈するという作業の積み重ねであった。一次文献を読み進めながら、二次文献にあたってそれぞれの解釈の是非を問い、またテクストの思想内容を時代的コンテクストのなかに位置づけながら、両者の相関関係について思考するという、きわめて単純な作業の繰り返しなのだが、やがてそのなかから独自の理解が生まれ、一つの像として結実してくる。これは人文学に従事する研究者が誰でも経験するところであるが、そこには文献学とか解釈学として整序されてくる要素が多く含まれている。テクストの精読、読解、解釈、あるいは翻訳といった作業は、誰もが行っている平凡な仕事である。しかし筆者は、アウグスト・ベーク(August Boeckh, 1785-1867)の『文献学的諸学問のエンツィクロペディーと方法論』Encyklopadie und Methodologie der philologischenWissenschaften (1877, 1886 2 )との出会いを通して、人文学の諸作法に目を見開かされた(11)。ベークを読み始めた動機は、日本思想史家の村岡典嗣が方法論的に決定的な影響を受けた人物だったからであるが(12)、この著作を読み進むにつれて目から鱗が落ちる体験を何度もした。古典文献学のバイブルの如く見なされてきた書物だけに、トレルチ研究やレッシング研究において深い自覚もなく実践してきた各種の作法が、系統だった仕方で説明されており、頷くことしばしばであった。ベークの書物を通じて、古典文献学だけでなく、人文学そのものの精髄にも触れた思いがするが、ベークは文献学すなわちフィロロギーの本来の任務249