ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL双方に通じる努力をする必要がある。それは、わが国が東洋系と西洋系の遭遇の場として、人類の文明史上特異な位置を占めているからにほかならない。もちろん、東洋系の人は東洋の知的伝統にウェイトを置き、西洋系の人はその逆にならざるを得ないが、いずれにせよ、東洋系だから西洋のことはわからない、西洋系だから東洋のことは知らないというのでは、まったく話にならない。だが、このような一辺倒なあり方になっているところに、わが国の人文学の弱体化の大きな一因があるように思う。「弱体化」などというと、外国語を自由に操って国際的に活躍している方々からお叱りを受けるであろうが、戦前派の知識人の学識の質とわれわれのそれを比べると、あくまでも一般論ではあるが、否定しようもない劣化が見られる。個別の限定的な専門的知識においてこそ、われわれの方が優れているかもしれないが、より広範囲の学殖となると実に痩せ細ってしまっている。少なくとも筆者はそれを痛感してやまない。それゆえ、甚野尚志先生も翻訳に尽力されたソールズベリのヨハネス(Johannes Salesberiensis,c.1120-80)の『メタロギコン』第3巻第4章における、シャルトルのベルナルドゥス(BernardusCarnotensis, 1124/30頃没)に関する有名な言葉をあらためて噛みしめざるを得ない。「シャルトルのベルナルドゥスは、われわれはまるで巨人の肩に座った矮人のようなものだと語っていた。すなわち、彼によれば、われわれは巨人よりも多くの、より遠くにあるものを見ることができるが、それは自分の視覚の鋭さや身体の卓越性ゆえではなく、むしろ巨人の大きさゆえに高いところまで持ち上げられているからである」(27)、という意味深長な比喩である。この比喩は「両義的なもので、……解釈には注意が必要である」(28)が、一般的には、「一方で、古代の学術(巨人)を学んでこそわれわれはものを見知ることができるという『人文主義』の精神、他方で、しかし自分たち(矮人)が古代人よりもわずかとはいえ遠くを見通しているという自負」(29)を表わしたものと解されている。おわりにわれわれもまた「巨人の肩に座った矮人」である。その肩の上からより遠くを見渡すことができるとしても、それは先人たちの巨大な労苦とその偉業に支えられてのことである。とりわけ人文学は、たえず過去の知的遺産へと立ち返り、それを根源的に問い質しつつ、新しい意味を見出そうと努める。人文学が温故知新の学と見なされる所以であるが、ベークのいう「認識されたものの認識」もかかる反芻的な、あるいは自己再帰的な、知の営みを言い表わしている。このように、先達の労苦に敬意を払いつつ、その知的遺産を――偉大な先達である波多野精一(1877-1950)の言葉を用いれば――「genau undrichtig, sachlich und grundlich(きちんと正確に、事柄を大切に、徹底的に)」(30)検証し直すことによって、人文知ははじめて前進するものだということ、このことをわれわれはしっかり肝に銘ずべきであろう。注(1)首都大学東京には「都市教養学部」と「人文科学研究科」は存在するが、いわゆる「人文学部」はもはや存在しない。(2)『田中美知太郎全集』第14巻、筑摩書房、1987年、333-335頁参照。(3) Peter Sloterdijk, Regeln fur den Menschenpark. Ein Antwortschreibenzu Heideggers Brief uber Humanismus(Frankfurt am Main: Suhrkamp Verlag, 1999; 12. Aufl.,2014), 7-17.仲正昌樹訳『「人間園」の規則―ハイデッガーの『ヒューマニズム書簡』に対する返書』御茶の水書房、2000年、23-35頁。(4)「フマニタス研究」(studia humanitatis)については、根占献一『フィレンツェ共和国のヒューマニスト』、『共和国のプラトン的世界』、『ルネサンス精神への旅』創文社、2005 - 2009年を参照のこと。(5)西山雄二編『人文学と制度』未来社、2013年、10頁参照。ちなみに、ピーター・バーク、亀長洋子訳『ルネサンス』岩波書店、2005年では、studia humanitatisもhumanitiesも「人文科学」と訳されているが、これだと西山氏の論点はかき消されてまったく見えない。(6)例えば、シェリング、勝田守一訳『学問論』岩波文庫、1957年参照。(7)ヘルベルト・シュネーデルバッハ、船山俊明他訳『ドイツ哲学史1831-1933』法政大学出版局、2009年、95頁。(8)エルンスト・カッシーラーに『人文科学の論理』(中村正雄訳、創文社、1975年)と題する邦訳書があるが、これはErnst Cassirer, Zur Logik der Kulturwissenschaften(1942)とders.,Naturalistische und humanistische Begrundungder Kulturphilosophie (1939)を翻訳したものであって、厳密に言えば、「人文科学」ではなく「文化科学」の論理を考究したものである。(9)安酸敏眞『人文学概論―新しい人文学の地平を求めて』知泉書館、2014年、198-205頁参照。(10)貝塚茂樹訳『論語I』中公クラシックス、2002年、39頁。貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年、135頁。(11) August Boeckh, Encyklopadie und Methodologie der252