ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALな視点から歴史的に位置づけ直すのである。「人文学」は近代の学知の編成において中心的な役割を果たした。逆に言えば、それは19世紀以後の学知の構造の近代性を理解するための重要な鍵である。私自身は、主に18世紀を中心とする西洋啓蒙思想研究、特にインテレクチュアル・ヒストリーの観点から『百科全書』研究に取り組んできた。19世紀末、文芸批評の大家エミール・ファゲが述べたとおり、『百科全書』はフランス革命期以後、近代化の波に洗われたほぼ一世紀を通じて「名前のみしか知られず、実際の内容を知る者はほぼ誰もいない」著作であった。『百科全書』に関する真にオリジナルの名に値する国際的な研究機運が興隆したのは、20世紀も後半を過ぎてからである。だが、本来ならば研究の基盤となるべき同書本文の考証・文献学的研究に関しては長く立ち後れた状況にあった。その主な理由は校訂された刊本の欠如や関連資料の閲覧の困難など、研究基盤の問題による。フォリオ版で全35巻にのぼる『百科全書』パリ刊本原本は入手困難な稀覯本であり、現在に至るまで信頼に足る批評版はない。『百科全書』には、伝統的な学知の蒐集と総覧としてのその性格上、過去から伝承されたおびただしい数の文献資料が利用されている。しかし、本文中で引用されたタイトルは不正確で遺漏も多く典拠の同定はしばしば難しい。かりに同定できたとしても、ヨーロッパ圏外からは、いやヨーロッパ、フランス国内ですらアクセスのきわめて難しい貴重書も少なくない。こうした状況を変えたのは、ここ15年ほどの間に飛躍的に進んだ古典籍の世界的規模のデジタル化である。これら稀覯資料の閲読がインターネットによって世界的に可能となったからである。シカゴ大学は『百科全書』全文テキストデータベースを無償公開した。いまだ誤記や遺漏を多く含んだ不完全なものではあるが、『百科全書』本文への国際的な注目を後押しした功績は否めない。こうしたなかで、本文研究に関する組織的な調査が近年ようやくその端緒についたといってよい。そのひとつとして私の加わっている活動が、国際共同研究による『百科全書』電子批評校訂版である。フランス科学アカデミー委員会事業の一環として、2013年より日仏その他欧米諸国の研究者が集い、半世紀の研究蓄積をいかした信頼に足る世界初の校訂版を編纂しようとするものである。『百科全書』が初期近代において西洋がグローバル化する世界の相貌に関する知を集積するための歴史的達成点であったとするならば、これまでの人文学の歴史を大きく塗り替えるインパクトをもつ、壮大な共同研究になろう。本稿で提示したいのは、典拠からの派生、距離化、編集の観点から『百科全書』の項目本文をあらたに解釈する試みである*。テクストの細部に拘泥した、いわば「重箱の隅をつつく」式の議論となるであろう。しかしながら私は、人文学の再生は、細部に埋め込まれた過去の時間の襞を現在に向けて開くという、その本来的な営為と切り離して考えることはできないと考える者である。*刊行時に匿名で発表された『百科全書』第一巻項目「政治的権威」(1751)は(1)、刊行するとすぐに同巻の中で群を抜いて深刻で厳しい批判に晒された項目である。イエズス会士が発行する定期学術刊行紙である『ジュルナル・ド・トレヴー』1752年3月号では、主筆ベルチエによる『百科全書』書評記事の最後において、同項目の異端性が執拗に糾弾される。後の『百科全書』出版弾圧の呼び水となった、一連の批判文書の最初の標的となったことになる。だがその一方で、ディドロの政治思想の評価という観点からは、このテクストは長く不透明さに包まれてきた。その最大の理由には、テクストの論旨に見られる顕著な捻れがある。1756年、百科全書派ドレールがルソー宛書簡において早くも指摘したように(2)、本テクストの前半と後半の言明のあいだには、絶対主義政体における主権者の権威に関して、論理の齟齬が認められる。王権への抵抗の理論化と、服従によるその放棄という相容れない対比的な政治的概念が、奇妙なかたちで共存しているのである――いわば腹話術師のように同時に異なる主体が話しているかのように。従来の解釈も、表明された二つの政治的立場のどちらに真の著者の意図を認めるかによって、同じく二つに分裂した形を取ってきている。これまでの主流であったのは、テクストの末尾に現れる、抵抗の断念たる受動的服従論をディドロの本人の立場の表出とみなし、ディドロの政治的保守性を強調する読解であった。例えばストラグネルは、初期から中期ディドロにおける、ホッ256