ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

『百科全書』における政治的徳の言語ブズにほぼ近似した「絶対主義的君主」への帰依をこの項目に読みこんでいる(3)。ディドロは結局のところ受動的服従、すなわち君主への抵抗権を斥ける絶対主義信奉者であり、なおかつホッブズよりもはるかに素朴な「君主政のユートピア的理想化」(4)を行っていた、とするのである。これは基本的にジャック・プルーストがその『ディドロと百科全書』において提出したディドロ像とも一致する(5)。だが、『ジュルナル・ド・トレヴー』や、1750年代末から出版された定期刊行物『宗教の復権』(6)など、『百科全書』に批判的な保守的著述家たちが強調したのは、反対にむしろ、この項目の前半に現れる君主制秩序の紊乱の組織者としてのディドロの像である。これらの議論ではテクスト前半の服従契約の議論に焦点があてられる。後半、なかんずく最終段落に見られる受動的服従の表明は表面的なものに過ぎず、著者の本意はあくまでも先に掲げられた反体制的思想にあるとされる。ストラグルネルの前述の読解を批判するラフは、この同時代の複数の批判的読解の事実を強調し、ディドロの発話の意図は、前半で書かれた服従契約論にむしろ力点を置きつつ読まれるべきだと指摘している。加えて、契約論をめぐる主権者と臣民との原理的な対立軸においてのみこの項目を読み取るよりもむしろ(これはドラテに発してプルーストへ流れる従来の読解の基本的な構造であった)、1750年代前後の王政と高等法院と抗争関係という歴史的文脈に据え直し、コンテクスチュアルな読解を導入する必要があるとの指摘をしている(7)。ラフの指摘は重要に思える。『百科全書』項目の分析的読解に際して、同時代のコンテクストの参照は、本質的な、時に唯一の重要性をもつからである。たしかに伝統的に百科全書的著作に課された機能は、特定のトポスに集積された知の相互連関の過去からの召喚と提示にあり、その点は『百科全書』においても同様である。だが同時に『百科全書』は、刻一刻と変わりつつある現実に対応する新たな概念の定義の創出のプロセスとしてもある。『百科全書』における過去と現在の時間を貫くこのダイナミックな往還運動の機能は、分析を始める際にまず念頭においておく必要がある。本稿は、このテクストに現れたディドロの政治思想を解釈する。すでに項目前半については、やや詳細な解釈を別な場で提出した経緯があり(8)、今回は割愛したい。テクストの後半の王権への服従の表明という箇所について取りあげることにしたい。神権理論の切り崩し――テクスト生成における政治表象の変容この項目の後半は、「この項目のなかで展開される諸原理に、それにふさわしい権威をあたえるために、わが国の偉大な王の一人の証言にもとついてこの諸原理を支持することにしよう」と、アンリ四世の言葉が二度に渡って引用され、ディドロの文章が引用の前後に付加、挿入される形で構成されている。引用の典拠にされる文献は、項目本文中に直接に指示されているとおり、アンリ四世の事績を語る財務総監シュリ『回想録』であった。シュリ『回想録』はアンリ四世の没後に刊行されて広く国内外で読まれ、アンリ四世の神話化に大きく寄与した歴史書のひとつである。何度か異なる編者によって編纂されたが、ディドロの使用したテクストはド・レクリューズ=デ=ロージュ編集による1747年版である(9)。1716年生まれ、イエズス会士の叔父をもつこのド・レクリューズ=デ=ロージュ師は、ダーントンの『猫の大虐殺』所収論文「作家の身上書類を整理する一警部」に、いわゆる「ガルソン」のひとりとして、デムリ警部の調書にディドロらとともにその名が挙げられている(10)。当時のパリ知識人集団に属する著述家であった。ベルリン科学アカデミーのサミュエル・フォルメー書簡の名宛人のひとりでもある(11)。先に述べたように、これまでの批評の多くは、相当部分の長さを占める国王の言葉の引用の検討をせぬまま、これらの引用の後、項目全体の最終段落におけるディドロの言明に注目をしてきた。この段落にことのほか注意が向けられたのは、とりわけそこで臣下の主権者への「受動的服従」こそが法であると、ディドロ当人によって語られるからである。主権者である王と臣民の契約の相が協調されていた項目前半のディドロの議論はいわば仮面に過ぎず、真のディドロの立場は絶対主義支持であるという解釈を支える根拠とされてきたのも、この箇所である。しかし、いうまでもなく、そのような解釈は性急にすぎるだろう。『百科全書』の本文テクストに挿入された典拠が、少なくともディドロのテクストの構成において、時にどれほど大きな役割が担わされ257