ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

ページ
260/542

このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている260ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALているか、近年明らかになりつつある(12)。他者の言説の引用として用いられたテクストの断片が、その原典の意味から転位され、本文の新たな場において別の生命を生きる。そのような『百科全書』の複雑で多層的な言語戦略の次元を知る者には、これら過去の読みはあまりにも素朴に見える。解釈上、決定的に重要であると思われるのは、問題の最終段落の本文生成過程である。この点を本項目の研究史上初めて示したのは、原典に丹念にあたったリーである。リーが示したように、この段落の文章はそのほとんどがシュリ『回想録』の一部の抜粋である。しかもそれは、直前にディドロが引いたアンリ四世の演説の一部にほかならない。ディドロ自身が書いたと従来考えられていたような結びは、実はこの項目にはそもそも存在していなかったのである(13)。では、原典と『百科全書』本文を仔細に比較してみると、どのような特徴がわかるだろうか。大きく分けると、主に四つの箇所において、ディドロが原文を書きかえていることが明らかになる。まず最初の大きな改変は、この段落の主張の根幹に関わるものである。シュリ『回想録』原文におけるアンリ四世の主張は、この点きわめて明確である。「臣民の立場からいうと、彼らが宗教・理性・自然によって課せられる第一の法は、確固として(sans contredit)服従である」(14)。臣民は君主への抵抗をあらゆる意味で放棄し、受動的に服従すべしという受動的服従の論理が、ここでは「確固として/異見なくして」という表現に明示される。ところがディドロは、この文章を次のように変更する。臣民の立場からいうと、彼らが宗教・理性・自然によって課せられる第一の法はつぎのとおり4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4である。彼らの結んだ契約の条例をみずから4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4守ること。彼らの政府の本性を見失わないこ4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4と。フランスにおいては、支配王家が男系に4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4よって存続するかぎり、臣民に服従を免除する4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4なにものもないのを忘れないこと(強調引用者、DPV, V, 544)。ディドロは臣民の服従にいくつかの条件を課す。契約の双務的遵守が第一の服従の条件である(「彼らの結んだ契約の条例をみずから守ること」)。第二は「政府・統治の本性」を服従者がなおざりとせず、これをつねに見届け続けることが第二の条件である(「彼らの政府の本性を見失わないこと」)。さらに第三の条件として、王家の正統性の保障がこれに加わる(「フランスにおいては、支配王家が男系によって存続するかぎり」)。こうして服従には幾重にも条件がつけられている。二番目の改変も、契約のモーメントが強調される点で同じである。『回想録』原文は「よしんば不正な、野心をいだく乱暴な王があらわれたにしても、この不幸に対抗するには唯一の手段、すなわち服従によって王の心を静め、祈りによって神の心をやわらげる手段しかないこと」(15)と、受動的服従の論理を忠実に反復している。しかしディドロはここでもまた、その論理に対し次のような条件づけを課す。なぜならば、たとえどんな人物であろうと、往時から支配する君主、男子相続者たちと結んだ服従契約の結果、この手段がただ一つの正当なものだからである(DPV, V, 544)。服従が正統化されるのは、それがあくまでも契約であるからである(「たとえどんな人物であろうと、往時から支配する君主、男子相続者たちと結んだ服従契約の結果」)。ディドロの加筆に一貫しているのは、原文には存在しない契約論の論理の導入なのだ。ディドロが原文から消去しているものにも注目してみよう。ひとつは本論においては無視してかまわないものである。「また抵抗してもよいと信じるあらゆる動機にしても、よく検討してみると、それはすべてたくみに潤色された不誠実についての多くの口実にすぎないし、抵抗したところで、君主の非をただすことも、課税を廃止することもできず、すでに不幸を嘆いていた上に、さらに新しく悲惨の度を加えるだけであるのを考慮すること」(16)。ディドロは原文に続く部分「この悲惨の度については零細民、ことに農村部の零細民に問い尋ねるにしくはない」を消去している。この細部の消去の意味についてはまだ解釈しきれていない。しかし、もうひとつの消去の意味は重要である。『回想録』原文において、受動的服従の重要な論拠として最初に掲げられるものが、王権と神との同一性であった。原文には次のようにある。258