ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALた理由を述べたのち、つぎのようにつけくわえ4 4た。「わが王令を妨げるものは、戦争を意志している。予は明日にでも宗教関係者に戦争を布告するかも知れない。しかし、予は戦争をしないであろう。予は彼らを戦争に追いやることになるであろう。予は王令を発した。その守られ4 44 4ることを意志する。予の意志は理性の役を勤めなければならない。よく服従する国家においては、君主に理性をもとめることはない。予は国王である。予は貴公らに王として語る。貴公ら4 4の従うことを意志する」(強調引用者、DPV, V,544)。さまざまな王の意志には、その「理由」と「理性」(いずれもraison)が与えられる。「戦争」と「平和」のように、王と他者の意志は共存し、競合もしている。王令の遵守や王の言葉への服従は、臣民への強制ではなく、王の意志に臣民が同意して初めてえられる。このテクストに反復されるのは、そのような討議的意志のありかたなのである。過去と現在の往還――歴史の位相と歴史家の身振り討議を通じて多様な意志が集い、国家の中で合流していったフランス王政における輝かしい歴史的瞬間。このテクストを筆写しながら、ディドロは何を考えただろうか。『百科全書』第一巻刊行は1751年6月28日である。同巻が執筆された当時の政治状況において、フランス絶対王政下における公論の構築が決定的な歴史的転回点を迎えつつあったことはよく知られている。高等法院は国王の宜言や法案登録の拒否、建言書の提出を武器とし、王権に対する抵抗の姿勢を強めていたが、この時期、ともにすでに四十年近く長引いていた二つの問題において、両者の緊張は特に強く高まっていた。その一つは「ウニゲニトゥス」をめぐるジャンセニスム処遇に関わる宗教問題であり、もう一つは租税問題である。51年3月、ジャンセニスムに厳格な態度を取る大法官ラモワニョンによる国王宣言が作成され、高等法院に大きな反撥を引き起こしている。王政側の増税政策とパルルマンの抵抗は、49年5月、二十分の一税の創設とパルルマンの法案登録拒否、それに対する王政側の強制登録の応酬として生じ、緊張は激化する一方であった。王権と高等法院の衝突を中心とするこれら政治的対立の深刻化の中で(18)、王政の賛否を論ずる多くの印刷物や写本が国内外で膨大に流通し、国民の公論が急速に形成されていく(19)。租税問題と宗教問題というまったく同じ二つの国内の混乱をかかえたまま、しかしながら有効な政治的解決策を見いだせずにいなかった1751年当時の同時代の状況を、彼が想像しなかったとは考えにくい。「政治的権威」の定義の事例としてディドロがこの二つのテキストを引用したのは、偶然ではない。アンリ四世が国内の混乱を鎮め、未曾有の危機を回避したその過去の政治的記憶を召喚することによって、ディドロは同時代の政治的出来事を解読し、未来に為されるべき主権者の行為を提示しているのである。過去の歴史に範を求め、かつて存在した言語を国民の生きる現在の混迷し、分裂した時間に接続させること。「政治的権威」を定義する『百科全書』の言語行為は辞書形式を通じた歴史記述の再説の試みと、過去の記憶の受容と再解釈をとおした政治的徳の言語の伝達の実践にほかならなかった。混迷した現在時を深く問い直すために過去の言葉への遡行を促し、その言葉をみずから生き直したロレンツォ・ヴァッラ(20)以来の人文主義者たちの政治的雄弁の系譜と、過去の国王の雄弁を引き写す十八世紀の哲学者の営為はここで確かに連続している。「学識才能のある人びとが、公共福祉のために必要と思われることを、なんの恐れも感じないで…提案できる」こと。アンリ四世のこの言葉を史料から辞書項目に書き写しながら、かつてフィレンツェに、近代ではイングランドに確かに存在していた言論におけるこの市民的自由を蘇生することこそは『百科全書』という辞書が担うべき政治的な使命であると、このときディドロは思ってはいなかったか。では来たるべきその「公論」へと、ディドロら「文人たちの結社」(21)が託した夢は実現したであろうか。現実はむしろ逆であった。フランスにおける公共の言語は、不幸にも54年9月、国王が発布した「沈黙の法」によって、強制的にその法的位階を著しく縮減させられてしまう。「ウニゲニトゥス」についてすべてのものに沈黙を命じ、これに違反したものを処罰する権限を高等法院に与える国王宣言が、この年に発せられたからである。『百科全書』260