ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL NO. 3 (2015.東10)アジアの「文」と書物からみる人文学の形成東アジアの「文」と書物からみる人文学の形成河野貴美子Formation of the Humanities:The Case in East Asian LettersKimiko KONO今日は、3名の先生方の貴重なお話をうかがい、たいへん勉強になりました。私自身は、日本における中国の学術と文化の受容ということを主たる研究テーマとして、奈良平安時代を中心に勉強して参りましたが、中国や韓国を訪れることも多く、そうした中で、近代以降の東アジアの学術交流や展開に日本が果たした役割、またその問題点にも関心をもっております。西洋の学問については全くの門外漢ではありますが、最近自分自身が興味あるいは疑問を抱いている点に絡めて感想を述べ、コメントとしたいと思います。まず安酸敏眞氏からは、冒頭に、日本の大学の学部名称と人文学、人文科学という言葉の定義の難しさについてお話がありました。私は先月(2014年11月)、韓国での学会に出かける機会があったのですが、シンポジウムが行われたのは漢陽大学校の人文科学大学でした。韓国では、例えばソウル大学校も学部組織は「人文大学」「社会科学大学」「自然科学大学」等と編成されていて、例えば高麗大学校が用いている「文科大学」という名称よりも「人文」を用いることが多いようです。一方中国では、人文学部という名称はあまり耳にしないように思い、辞書を引いてみると、「人文学」という単語は立項されておらず、また「人文科学」は、現代では「社会科学」の別称として用いる、とあります(1)。そこで思い至るのが中国の人文社会科学研究を代表する学術研究機構(2)が、中国社会科学院と名のっていることです。しかし今回改めて調べてみて知ったのですが、北京大学は「中国語言文学系」「歴史学系」「哲学系」等をまとめて「人文学部」の名称をかぶせています(3)。しかし、復旦大学では、「中国語言文学系」「哲学学院」「歴史学系」はそれぞれ独立していて、「人文」の名は見えません(4)。やはり大学学部や研究組織の名称と人文学の関係は一筋縄ではいかないようです。なお、日本での状況は安酸氏のお話の通りですが、中国との関係で、また戦前の、早い段階における状況として触れておきたいのは、武藤秀太郎氏のお話にも出ましたが、1927年に、日本が義和団賠償金を用いて上海に自然科学研究所、北京に人文科学研究所を設立したことです。人文科学研究所は、日本による中国への文化侵略行為だとの批判もあり、その歩んだ道は平坦ではありませんでしたが、そこで行われた主な研究活動は、中国の古典籍の新たな叢書とその解題、『続修四庫全書提要』の編纂でした。「人文科学研究」と銘打って行われていたのは、実際には中国伝統の古典籍研究、中国学研究だったわけです。さて、ここで「人文学」とは何か、ということを改めて考えてみたいのですが、安酸氏のお話の通り、それは人文主義、人間とその文化を探究する学問、フマニタス、ということであり、そうした西洋の学知を東アジアでも受け入れて近代の学問が形成された、ということなのですが、いま問題としたいのは、武藤氏のお話にもあったように、「人文」という言葉は古代中国にもあったこと、そしてそれ271