ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALは、『易経』においては「天文」と対の概念として提示されており(5)、「天文」(自然現象)に対して人間によって作り出される現象、人間が生み出すさまざまなものやこと、いわば文化の総体をさす謂であったことです。フマニタスと同じく、人間と文化に関わる、という点では、人文学と重なる部分も多いように思われますが、しかし漢語としての「人文」は、「人の文」ということ、つまり「文」の方を中心に構成された語彙であって、フマニタス、人の語と離れることがないヨーロッパの人文学とはやはり根本的な違いがあるのではないかと思います。新川登亀男氏からのコメントにあげられていますように、中国伝統の「人文」の考え方は日本にも輸入され、早くは八世紀半ばに編纂された日本初の漢詩集『懐風藻』の序文に現れます。それをみますと、はじめ神武天皇が日本を建国した時には「天地は創造されたばかりで」「人文はまだおこっていなかった」、しかし、「風俗を教化し、身を徳で照り輝かせるには、文や学以外の手段はない」とあります(6)。ここでは「人文」の現れとして「文」と「学」がほぼ同義語として用いられています。「文学」とは広く社会や人を導く学問のことを指す、このことが近代以降の「文学部」という呼称にもつながっていくのでしょう。そしてもう一点、問題として提起したいのは、漢語の世界において「文」が重視されたのは、そこで用いられた文字が漢字であったことが大きな要因であったのではないか、ということです。漢字は一字一字が形と音と意味(形・音・義の三要素)を備えた文字であり、つまり、書かれることに大きな意味があった、だからこそ、中国では紀元前の古代から多くの文字が刻み残され、膨大な数の書籍が蓄積されたことです。漢字文化とは、書物の文化だともいえると思うのですが、中国においては、文字や文に対する追究が早くから行われていたわけで、今日の、逸見龍生氏の『百科全書』のお話を伺って興味深かったのは、中国古代の辞書や、初学者への啓蒙のために作成された百科事典(それを中国の場合、類書と呼びますが)、また古典テキストに対する注釈書のあり方と、西洋の古典文献とを比較してみることで、お互いにとって面白いことがみえてくるのではないか、ということです。例えば、中国では、漢字一字に意味がありますので、意義によって文字を分類する『爾雅』のような辞書が作られますが、それはある意味百科事典的でもあります(7)。漢字の世界においては、文字、すなわち「文」を追究することが、そのままこの世界をどのように体系化して把握するかということ、さまざまな現象をどのように分類して、トータルとしてどのように認識するかということへとつながってくるわけです。したがって、「人文」というのは、そうした、漢字という特徴ある文字とともに文化を育んだ東アジアにおいては、文字やことば、すなわち「文」というものに比重が置かれた文化の総体を指す謂であり、文字や文と密接に関わり展開された学問のあり方そのものをいうもの、といえるかとも思うのです。また、ヨーロッパの学知と東アジアの学問の枠組み、ということで、もう一つ興味深い課題だと思うのは、書物の分類、ということです。先ほど、漢字文化は書物の文化、と申しましたが、ヨーロッパの学知と出会って以降、近代の東アジアの学問世界が直面した難問は、それまで長年かけて構築されてきた書物の分類法ではヨーロッパの書物と概念に対応できなくなってしまったことです。中国では、紀元一世紀の『漢書』藝文志以来、学知の世界を体系的に捉えるとともに、書物を分類し、順序を立てて排列し、それぞれの概念を説き、解題を附す、目録学とよばれる学問があったわけですが、その学問の基本的枠組みの転換が迫られたのです。しかし、二千年の伝統はそれほど簡単には転換できるものではありません。すると、図書館を作っても書物を分類配架できないという事態がおきるわけです。書物をどのようなカテゴリーのもとで分類し並べるのか、これは、大学の学部をどう設置し、どう名づけるかということとともに、東アジアが直面した学問の根幹に関わる問題だったのです。さて、今日の武藤氏のお話は、中国の史学が日本の史学を参照し学んだ、ということでしたが、いま申しあげた、図書の分類、あるいは近代図書館の建設、ということについても、中国は日本のやり方を大いに参照していたようです。武藤氏のお話でも名前があげられていましたが、ここで、中国の学問の近代化に大きな影響を与えた人物として、服部宇之吉(1867-1939)のことを取りあげてみたいと思います。服部宇之吉は、北京大学の前身の京師大学堂の教習として、明治三十五年(1902)から四十二年(1909)まで在職していたということですが(8)、その際、日本の丸善などを通じて、大量の書籍を購272