ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALたのはたいへんな喜びとなりました。さて、シンポジムのタイトルに見られる人文学のイタリア・ルネサンス的表現は、「フマニタス研究」(studia humanitatis)になります。古代ローマ共和政の危機的時代にキケロが使った用語でありましたが、長い中世には見られずに、ようやく14世紀後半から、コルッチョ・サルターティ(1406年死去)やレオナルド・ブルーニ(1444年死去)が用いるようになりました。彼らは二人してフィレンツェ共和国の書記官長でした。この「フマニタス研究」の先駆者としてフランチェスコ・ペトラルカ(1374年死去)を捉え、心から敬意の念を抱いていました。ペトラルカは「フマニタス研究」の父、人文学の祖といえるでしょう。ルネサンスはこうして始まりました。この「フマニタス研究」はやがて15世紀半ば頃から、その学術内容が明瞭になっていきます。その中身が文法・レトリック・歴史学・詩学・道徳哲学を指すのが、それです。安酸敏眞先生は「現いま在、あらためて≪人文学≫を問う」―基調講演に位置づけられると思いますので、コメントも長くなります―と題されてお話しされた中、人文学にはサイエンスが含まれない、と言われました。これは、若いトンマーゾ・パレントゥチェッリがフィレンツェのサン・マルコ修道院の蔵書を分類した基準からも、正しいことです。彼は後に教皇ニコラウス五世(在位1447‐1455)となるわけですが、ローマでのルネサンス文化活動はこの教皇着任から始まると評されるほど、重要な文化人でした。こうして商人の町フィレンツェとともに聖職者の町ローマがルネサンスの中心になりますが、「フマニタス研究」なる概念は、宮廷文化が花咲く北イタリアの諸都市の学校でも盛んに用いられるようになり、またアルプスを越えてドイツの大学での講義告知にも、この用語が見られるようになっていきます。「フマニタス研究」は自然科学を含むリベラル・アーツと違う学科内容であること、つまり文法(言語学習)、レトリック(言語表現とともに口頭弁論)と詩学(韻文)、歴史学(散文)、哲学では倫理学(道徳哲学)が重視されていることにこの研究の特徴が見出されます。安酸先生が人文学(studia humanitatis, humanities)と人文科学の区別を指摘されるとともに、フマニタスをlearning (doctrina)と強調されていることは興味深いところです。フマニタスはギリシア語のパイデイアのラテン語訳であり、フマニタスに他の意味があるにしても、概念の核にはこの学識、教養の意味があることを忘れてはいけないでしょう。思いやりとか憐れみといった人間感情の意味合いにのみこれを取ると、本来の人間性の理解に至らないという、皮肉な結果になります。人文科学の科学が英米圏のサイエンスという意味に引きつけられた言葉であれば、確かに問題があるでしょうし、日本でもこの意味であることは確かです。大陸側のヨーロッパでは、科学とはドイツ語でいうWissenschft、学問という広い意味で捉えることができたのでしょうが、いつの間にか、アングロ・アメリカンの影響の大きさもあって、サイエンスは自然科学の分野を指すだけになったのではないでしょうか。そして人文研究にもこのサイエンス性が必要となったようです。ルネサンス学を専攻する者として「科学」をその方法論から理解したいと思います。これは、ここでは詳しく述べることはできませんが、「スコラ学」理解でも私はこれを方法論の問題と考えているのと同様です。「フマニタス研究」は中世のスコラ学の方法論とも、また同じくルネサンスに生まれた科学的方法論とも異なるもので、極めてユニークです。安酸先生はキリスト教学(Christian Studies)、宗教哲学の専門家でいらっしゃいます。トレルチ研究者で知られていますが、レッシング研究でも業績を挙げられました。先のフマニタスがドイツ語圏に入ったときは「人間性」として、直訳的なHumanitatからドイツ語としてMenschheit、Menschlichkeitなどと訳されていきますが、先生のレッシングの研究書にもこれらの言葉が見られます。人文の分野では訳語の問題がいつもあり、彼我の差がドイツ以上に大きいだけに考えさせられます。なお、先生には波多野精一とその愛弟子村岡典嗣との交友を扱った論文もあり、示唆を受けること多き高論です。次いで、逸見龍生先生は「哲学者と人文主義者―フランス18世紀『百科全書』における<ヒストリア>の実践」と題されて研究発表をされました。逸見先生は私よりも非常に若い世代に属するヨーロッパ研究者で、特に標題に見られる百科全書の調査、百科全書派のディドロの研究ではフランスの学者と同歩調で討究を進めている実力者です。新進気鋭と276