ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

フマニタス研究(studia humanitatis)と近代世界の東西いうのは、まさに先生のような方を指すのでしょう。書かれている論文は常に緻密を尽くしています。今日の発表では、アンリ四世の事績を語る財務総監シュリ『回想録』が問題になります。この『回想録』はアンリ四世の没後に刊行されて広く国内外で読まれ、アンリ四世の神話化に大きく寄与した歴史書のひとつであります。何度か異なる編者によって編纂されましたが、ディドロの使用したテクストはド・レクリューズ=デ=ロージュ神父編集による一七四七年版でした。そして『百科全書』第一巻刊行は1751年6月28日で、その関連の本文分析がなされます。実にテクストを細心の注意で読み進み、先生は問いかけるのです。それは「フマニタス研究」の本質に遡及する文が見られるところです。同研究の下でフマニスタ、人文主義者が誕生しましたが、その箇所を引用してみましょう。――混迷した現在時を深く問い直すために過去の言葉への遡行を促し、その言葉をみずから生き直したロレンツォ・ヴァッラ以来の人文主義者たちの政治的雄弁の系譜と、過去の国王の雄弁を引き写す18世紀の哲学者の営為はここで確かに連続している。・・アンリ四世の(この)言葉を史料から辞書項目に書き写しながら、かつてフィレンツェに、近代ではイングランドに確かに存在していた言論におけるこの市民的自由を蘇生することこそは、『百科全書』という辞書が担うべき政治的な使命であると、このときディドロは思ってはいなかったか、と。では、来たるべき「公論」へと、ディドロら「文人たちの結社」(une societe de gens de lettrs)が託した夢は実現したでしょうか。レオナルド・ブルーニとディドロら、ルネサンスと啓蒙思想の?がりがここに見られますが、このような人文学が再度、現代の中で甦ることはあるのだろうかと、こちらも先生の考えを伺いたくなりました。それが今回のシンポジウムの目指す問題でもあります。最後に研究発表されたのは武藤秀太郎先生で、その題目は「日中両国における人文学の概念形成」でありました。これは、このたびのシンポジウムにおいて東アジア的視点を織り込んだ、具体的内容に富む講演となりました。先生は、日本を含む東アジアの、そして時代的には19・20世紀と新しいところの専門研究家であり、この点で先のお二人、安酸先生と逸見先生と違っています。また、逸見先生よりさらに若いながら、ご著書『近代日本の社会科学と東アジア』では福田徳三らを詳しく扱い、安酸先生とは異なるタイプの日本からの留学経験者を扱っています。この著書を読んでいると、東アジアの状況が今日とあまり違っていなかったのではないか、やはり日本にとっては同じくChinaの存在が大きく、学問上では無論のこと、政治的にもそうだろうというふうに思われます。日本はアジアから離れ、抜け出すことはできません。今回は、二概念「整理国故」と「封建」に注目し、人文学の日中間の学問上の関連と相違を、特に胡適を中心に扱っています。特に封建概念については、朝河貫一の影響を問題にしていて、大いに注目されます。武藤先生は社会科学の分野に入る研究者でしょうが、ご著書も、ご論文も、また今回の発表も、なにか精神史の手法で問題を明らかにされますので、人文学に関わる研究に思えます。残念ながら、今日のご発表では時間の関係があり、朝河の話が聞けませんでしたが、世に社会科学者、経済学者、教育学者として知られている人物を扱っていても、その内容は本質的に歴史に関わり、示唆を受けるところ大です。コメント冒頭で、「洋学」研究の限界性を少し強調し過ぎたかもしれませんが、朝河はアメリカに骨を埋めてヨーロッパにおける中世史研究に小さからぬ貢献を果たしました。中世史研究というと、ヨーロッパの歴史学に通暁した原勝郎は、その『日本中世史』(明治39年)で武家の時代を積極的に評価して、中世暗黒史観を乗り越えたと位置づけられています。これはペトラルカの中世=暗黒観を想起させますが、ヨーロッパでは時代観としては武人でなく文人の文化、人文学が問題でした。ペトラルカ自身はまだ人文の華咲くルネサンスに活動していたという思いでなく、暗黒(tenebrae)の時代、中世に生きていると感じていました。サルターティやブルーニの世代が旧時代、以前の時代のこの暗黒説を当然視するようになります。彼らはこの暗黒から光の世界に進んだと考え始めていました。ヨーロッパでは近世は明るくなり、さらに啓蒙思想家が中世を真っ暗闇にして行きます。日本史の近世概念の確立に貢献したのは、日本経済史の草分け、内田銀蔵でした。彼もまた留学を体験して、ヨーロッパの近代を告げるルネサンスと宗教改革の時代的役割に通じていました。こうして近世概念(『日277