ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL NO. 3 (2015. 10)和文タイトル・和文タイトル安酸敏眞先生の報告へのコメント井上文則Some Comments on the Prof. Yasukata's LectureFuminori INOUEまず今回のシンンポジウムに出席できなかったことをお詫び申し上げたい。またコメントもご報告の要旨に基づくものであるので、誤解があるかもしれず、この点もご容赦いただければと思う。ご報告要旨を拝読して、私自身は大いに共感するところがあった。私が共感を抱いたのは、安酸先生がご報告要旨の中で、本質的には、人文学そのものが危機に陥っているのではなく、人文学に取り組む研究者の姿勢が危機的な状態になっていると主張されているように思われたからである。そして、この人文学に取り組む研究者の姿勢とは、個々の研究者が人文学の研究を何のために行うのかという問題に他ならない。ご報告要旨の中で指摘されているように、人文学が「人間形成に資する学問」であるのならば――私はこの解釈についても賛意を示したいが――人文学は、まずは自分自身のための研究であらねばならないということになろう。この点に関連して、西洋古典学者の中務哲郎先生の「人間性に関わる学問の場合は、……どれだけ人間性を――自己を――豊かにしたかが重要で、それは目に見える成果や効用で評価されるべきものではない(『饗宴の始まり――西洋古典の世界から――』岩波書店、2003年、167頁)」という言葉を引いておきたい。しかし、現状では、人文学も「研究のための研究」、あるいは「成果のための研究」になってしまっているように感じられる。要するに私がここで言いたいことは、昨今の人文系の研究者には、自身を豊かにするために学問をするという姿勢が失われてきているのではないか、ということである。そして、このことが研究者の余裕を時間的にも、知的にも失わせ、これもご報告要旨の「「東洋系」と「西洋系」の別を越えて」の部分において指摘されているように、戦前派の知識人に比して、われわれ現在の研究者の広範囲な学殖が痩せ細ってしまっている、その根本的な原因であると考えられるのであり、引いては人文学が社会に訴えかける力を失ってきていることに繋がっているのではないだろうか。279