ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

一中国文学者からのコメント力が減衰してしまった文学研究に代わって、中国社会を把握・批判し、それを社会に向けて発信する一つの武器なのです。一方、香港の友人は翻訳研究・香港文化研究の第一人者で、香港のアイデンティテイーについて考えて続けています。翻訳学の発達そのものに、植民地だった香港の歴史が刻印されていることは周知のとおりです。かれの研究に、香港歴史博物館の展示に注目したものがあります。最初に香港の歴史を語ったのはイギリス人でした。かれらはアヘン戦争から香港の歴史を説き起こします。それ以前の、漁村が点在するだけだった香港に触れることは稀でした。1980年代に入ると、大陸の中国人が香港の歴史を語り始めました。かれらは原始時代から説き起こします。香港は中国嶺南文化の一部だという訳です。そうした言説に対し、香港歴史博物館の展示は4億年前の香港から始まります。イギリス人も、中国人も存在しなかった四億年前から香港はあった、というのです。友人はそこに込められた香港人のアイデンティティーを読み解きます。二人の研究は、自らの暮らす社会で起こっている、抜き差しならない問題を突き詰めて考えるところから出てきたものです。では、日本人のわたしはどうか。なぜ、外国である中国のことを研究するのか。わたしは、日本で起こっている現象とよく似た現象が、中国や香港などアジアの各地でも起こっていることに注目します。(若者のサブカルチャーや、その裏に潜む彼らの閉塞感などが一例です。)わたしたち日本人が直面している問題はアジアのかれらの問題でもある、かれらの問題はわたしたち日本人の問題でもある、と思うからです。「文化の側から見たグローバリゼーションとは、そういう共通性にほかならない。今日の問題を考えるには、内部と外部をともに見つめる視点が必要なのだ」。そういうと二人の友人はいつもニヤニヤ笑います。出発点も方法も異なる三人ですが、自らの暮らす場所で起こっている問題を突き詰めていく過程で互いが繋がっていく実感が、そこにはあります。そんな瞬間に、国や地域を越えて「人文学(フマニタス)」の基盤が形成される可能性を感じるのは、わたしだけの楽観でしょうか。3.人文学から人文科学へ上記の議論と相まって、日本と中国で、伝統的な「史(歴史)」が科学的な「史学」へと変貌していく過程を語る武藤秀太郎先生のご報告からは、《人文学》から《人文科学》への変化について考えさせられました。中でも興味深かったのは、朝河貫一との交流から、胡適が科学的な西洋史学の方法に触発されて「国故整理」に向かうくだりです。「井田辯」という論文に朝河貫一が出てくるのはよく知られていることですが、改めて指摘を受けて、いろいろ啓発されることがありました。ただ、中国文学の研究に携わっている立場からみると、胡適の思考は科学的な歴史研究の主張という文脈に留まらない点があります。「新思潮的意義」を発表し、「国故整理」を主張した1919年、胡適は李大釗・藍公武と、一般に「問題と主義論争」と呼ばれる論戦を展開しています。胡適が『毎週評論』31号(7月20日)に発表した文章「多研究些問題、少談些主義(もっと問題を研究し、主義を語るのは控えよう)」に対して、藍公武が「問題与主義(問題と主義)」(同33号、8月3日)を、李大釗が「再論問題与主義(再び問題と主義について)」(同35号、8月17日)を書いて批判し、再び胡適がそれに対して「三論問題与主義(三たび問題と主義について)」(同36号、8月24日)「四論問題与主義(四たび問題と主義について)」(同37号、8月31日)で反論した論戦のことです。簡単に言えば、胡適の主張の中心は、中国社会を考察する上で重要なのは、抽象的な「主義」や「学説」を空談することではなく、具体的な問題を一つひとつ研究していくことだ、という点にありました。これに対して李大釗らは、問題と主義は不可分で、ロシア革命など社会の根本的な変革について考えるときには、単に具体的な問題を研究するだけでは十分ではない、と批判したのでした。胡適はその主張の中で、中国の社会に即して問題を考える必要を述べ、安易に輸入した「主義」を論じることを批判しています。それは、主張の背後に、自らの暮らす社会を考察し、問題を具体的に研究するために、「国故整理」が必要だという認識があったことを示唆しています。胡適の科学的な研究の重視とこうした考えは、当時の新文化運動によってもたらされたパラダイムの転換と密接な関係があります。胡適もその運動の先頭を走っていた一人でした。パラダイムの転換は、例えば「格物致知」から「科283