ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

ページ
286/542

このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている286ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL学と民主」への変化に現れています。中国では伝統的に、科学に相当する概念を「格物致知(物に格(いた)りて知を致(いた)す)」と表現してきました。そのため、物理学ないしは科学も、当初は「格知学」と呼ばれていました。森羅万象を事物に即して正しく究めることで知がもたらされる、という考え方です。ただ、理論的な探求が主で、倫理的な価値観を伴っていました。革新的な思想家だった王陽明は、それを批判して実験主義唱えましたが、かれ自身も、そうして得られた知を「良知」とし、それによって「知行合一」を考えました。「格知」が、一貫して人のあり方と不可分のものとして捉えられていたことが分かります。胡適も重要な執筆者だった『新青年』誌上の有名な言葉を引けば、そうした理念が、新文化運動によって「賽先生(science)」と「徳先生(democracy)」に取って代わられた訳です。(胡適自身も後に「格知与科学(格知と科学)」という文章で、その変化について書いています。[1933年、『胡適遺稿及秘蔵書信第9冊』所収]。)当時、胡適とともに新文化運動の先頭を走っていた魯迅の弟周作人は「人的文学(人の文学)」(『新青年』5巻6号、1918年12月)のなかで、「人生の諸問題に対して記録研究する文章を人の文学という」と述べています。これは、新文化運動の科学志向が、人間の研究と不可分であることを示しています。つまり、当時のパラダイム転換は、人や社会を捉える力を喪失しつつあった従来の文化や学問に代わって、新たな社会における人間の問題を考えるために必要とされたということです。胡適の科学的歴史研究の主張もその例外ではありません。このことは、科学として再構築された《人文科学》が、実は新たな時代に即応した人間形成の学、すなわち新たな「人文学(フマニタス)」として要請されたものだったことを示しています。「人文学(フマニタス)」から「人文科学(スキエンティア)」の変化は、それによって何かを喪失したり、獲得したりするといった、単線的な経路でたどれるものではなさそうです。4.≪人文学≫のアポリアそう考えると、今日叫ばれている《人文学》の危機も、少し異なった相貌を呈してくるのではないでしょうか。《人文科学》が形成された近代以降も、人間の学として、今日の社会や人を考えようとする研究者は少なくなかったはずです。研究者の多くはそういう思いで真摯に研究に取り組んできたし、現在の研究者もそうしていると思います。しかし、それでも《人文学》が有効性を失いつつあり、危機を迎えているとすれば、それは、中国で新文化運動とともにパラダイムの転換が起こった時代と同様、今日、これまでの《人文学》では捉えきれない事象が世界中で次々に生まれつつあって、誰もがそれを捉える方法を掴みかねているからではないでしょうか。一つだけ例を挙げましょう。わたしが研究テーマの一つとしているサブカルチャーの分野では、中国の一つのインターネットサイト(文学、ライトノベル、同人、コスプレなどが掲載されています)だけで、一日に7億字の投稿があります。これだけの資料を網羅的に扱うのはとうてい無理なことです。アプローチの方法は、これまでと変わらざるを得ません。また、若い読者のテクストの読み方は以前と異なっています。簡単に言えば、作者の思想や文体を鑑賞すると同時に、あるいはそれより重要なものとしてキャラクターを鑑賞する若者が増えているのです。それは読者と作品の関係が変化しつつあることを物語っています。どうやら、作品を通じて人間や社会の真実に触れることと共に、あるいはそれ以上に、仲間とコミュニケーションを取ることを求めているらしいのです。さらに、その背景には、彼らのライフスタイルや、社会との関わり、社会観の変容(簡単に言えば疎外感)があって、上記の変化と深く結びついています。そうした大きな移り変わりをどう捉えるのか。アンケートや、インタビューや、インターネットや、テクスト分析・理論分析など、ありとあらゆる手立てを駆使して、アプローチがなされています。その意味では、テクノロジーの発展・変化は、研究の突破に繋がる無視できない要素です。ただ、それらはいずれも模索の段階というほかありません。かくいうわたしも、目の前の膨大な資料と急激な変化のスピードに絶望しつつ、方法を模索しながら苦闘を続けているというのが実情です。わたしたちが依拠し、価値観を育んできた、文学や、映画や、音楽や、その他諸々の文化領域を含む近代の文化システムは、その誕生から百数十年が経過しました。おそらく、21世紀を迎えた今、近代284