ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALしていることはあきらかです。もちろんそれが対話的な連鎖である以上、この統合はけっして一元的で一方通行的な体系化ではなく、多様な言葉や声による、意味や価値をめぐる理解の相互応酬という形態をとるわけですが。こうしてみれば、つぎの問い──いったいいかなる根拠をもって「人文学」をそうした学知と規定できるのか──の答えも明らかです。基本的に人文的な知の作業は、過去の人間によって思考され表現されたものを間接的な痕跡を介して読み解くことしかできず、その意味で原理的に「認識の認識」、「読みの読み」、「理解の理解」という特殊な、いわばトートロジー的あるいは自己再帰的な形態をつねにとらざるをえません。だからこそ人文的な知の習得は終わりがない(最終的回答がない)ものとなり、その統合性もまた、即物的で出来合いの物や法則としてではなく、私たちにとっては、テクストの向こう側に隠されていて、テクストの「解釈」や「理解」という間接的な方法を通して不断に読解しなければならない、一回的・歴史的で人格的な統一としての意味や価値となって現れるわけです。では、なぜそれが今私たちにとって重要かつ必須なのでしょうか。それはすでに述べたように、原理的に考えれば、人文的な知のこうした特徴は、基本的に人間が文化的・歴史的に形成してきたすべての領域に当てはまることだからです。歴史学や文献学、哲学、芸術研究などの、いわゆる狭義の人文諸科学だけでなく、人間の社会や経済、政治その他の活動を対象とする学知はすべて、言葉やその他のメディアを媒介として表現され、他の人間に読解されることで伝承されていくのであり、この意味で、自然的所与を直接観察し普遍的に法則化する自然科学的な学知のあり方とは根源的に異なっています。「認識の認識」というこの広義の人文的な知独自の原理的なあり方は、私たちの社会的・文化的な生のあり方を広範にかつ根源的に規定しているものにほかならないのであり、このことの重要性に無自覚なままでは、人文・社会のいかなる領域であれ、その対象の特質を的確にとらえて理解することはできないでしょう。「認識の認識」としての人間の知的活動全般が原理的に持つこうした媒介性や間接性を、シペートは感性的媒体(「言葉」、「記号」)を介した社会的な「意味」の「表現」と「理解」の問題としてとらえようとしましたが、これを別の側面から考えれば、カッシーラーの言う「シンボル」の問題になるのだと思われます。人間の社会・文化的な活動はすべて「言葉」や「記号」その他の「シンボル」を媒体とした意味や価値の間接的表現と、その読解、理解のプロセスによって形成されているのであり、私たちの日常的な社会・文化的な生そのものの根源的なあり方を規定するこうした「シンボル」の表現と読解のプロセスは、人文的な知なしには解明することができません。この意味で、人文的な知は今日の私たちにも重要かつ必須なものなのであり、狭義の人文諸科学も当然ながら、こうしたより広い人文的な知の原理的問題を無視して、自然的所与を対象とする実証的あるいは功利的な科学の身振りを模倣するだけでは、人間によって生み出された文化的・社会的対象の本質に迫ることはけっしてできないと思われます。290