ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL NO.安3酸(2015.敏眞氏10)の「現在、あらためて《人文学》を問う」を読んで安酸敏眞氏の「現いま在、あらためて《人文学》を問う」を読んで新川登亀男Comment on Prof. Yasukata Toshimasa's ReportTokio SHINKAWAこのたびの重要なシンポジウムにうかがえず、申し訳ありません。ただ、事前に、安酸敏眞先生のご報告原稿を拝読することができました。大変興味深いもので、多くの教唆を得ることができました。感謝申し上げます。そこで、この原稿に導かれながら、若干の私見を述べさせていただきたいと思います。私たちの大きな研究課題は、「人文学」の現状認識と、将来への可能性を切り拓くことにあります。しかし、「学」とは言っても、「人文学」という特定の学問体系や方法があるわけではありません。また、大学制度上、「人文学部」「人文学科」等がありますが、これらの呼称は、「法文学部」「文理学部」等の呼称について弁明することとは異なる説明が求められるでしょう。さらに、「人文」という漢語の側面からみると、日本の場合、天平勝宝3年(751)にまとめられた漢詩集の『懐風藻』序文が早期の使用例です。それによると、「天造」に対比させて「人文」と述べています。このような対比は、『周易』が説く「天文」と「人文」との対比に倣ったものです。つまり、「天」に由来する創造現象に対して、「人」の営為現象を「人文」というのですが、そこには、「天」と区別されることではじめて意義をもつ「人」が立ち現れてきます。では、「文」は、どのように考えられていたのでしょうか。さきの『懐風藻』序文は、次のように述べています。すなわち、「風」と「俗」をととのえ、教化するには「文」が必要であり、「徳」を身に着けるには「学」が必要である。この両者が合わさって「庠序」(しょうじょ:学校)が誕生するのである、と。この説明は、「文」の意義を説くだけでなく、「文学」ひいては学校(大学)論にも及びます。この論は、「文武」の「武」と区別される「文」の成り立ちにもかかわるでしょう。ところが、日本と中国では異なるところがあります。「天」と「人」との区別については、一応共通していますが、日本で言う「文武両道」とは異なる「文武の道」が中国にはあります。それは、『論語』にも説かれているように、周の文王と武王が伝えた道を指しています。さらに、同じ『論語』にもあるように、「文」と「質」とを対比させます。つまり、装飾であり「あや」である「文」が、質朴である「質」に勝てば「史」になり、「質」のほうが「文」にまされば「野」になるというのです。したがって、「文」と「質」との適切な調和が必要であると説いています。これは、「文」の本源を「あや」(模様)に求めた好例であり、その「文」が優勢であると「史」に行きつくというのは、興味深い論です。なぜなら、「歴史」記述や編纂の正体が問われてくるからです。以上、「人文」という漢語の早い使用例には、すでに多くの問題が含まれています。「人」と「天」の区別。「文」と「武」の区別。「文」と「質」の区別などです。また、同じ漢語や漢字の意味にしても、日中間の違いや、濃淡の差異もあります。しかし、基本的な問題として取り上げるべきは、「人文」ひ291