ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

安酸敏眞氏の「現在、あらためて《人文学》を問う」を読んでしい「人文学」が、諸々の対比と矛盾を抱え込みながら仮想されている現実があるからです。では、本研究課題にかかわる私たちは、どうしたらよいのでしょうか。たとえば、既述のような「人文学」はバーチャルな「学」に過ぎず、日々の個別研究を誠実にすすめることこそが大切であると考えることもできましょう。あるいは、そのような「人文学」はバーチャルなものに過ぎないとして、逆に反撃することもあり得ます。しかし、たとえ、「人文学」がバーチャルな「学」であるとしても、それを仮想させる本源的な必然性や矛盾を無視したままで、個別研究に専心したり、反撃したりすることは適切でないと思います。少なくとも、私たちは、このように肥大化し、あるいは逆に萎縮化するバーチャルな「人文学」と無縁である位置にはいません。むしろ、他に比して、きわめて近しい立ち位置にあります。ただし、問題視される「人文学」がバーチャルな「学」であり、そもそも「人文」用語自体が相対的かつ歴史的な概念であるとすれば、「人文学」や「人文」という実体を直接対象として吟味することは容易でありません。と言うよりも、建設的な方法ではないでしょう。要は、バーチャルな「学」としての「人文学」がどうして生み出されるのかという現実を確かめながら、私たちが日常取り組んでいる具体的な研究課題のなかから考えていく以外に術はないと思われます。また、それが現実的でしょう。私自身の場合で言えば、歴史研究になります。その研究が、バーチャルな「人文学」の創出とどのような切り結び方をしているのか。あるいは、有意味な課題を選んでいるのか。実証することと観念論とは紙一重ではないのか。史料を事実とはき違えていないか。事実とはどのような類とレベルをいうのか。事実と思想の関係をいかに考えてきたのか。さまざまな懐疑が自覚されます。このような懐疑をそれぞれ真摯に確認していくことが、仮想される「人文学」の「危機」と「再生」に対処する建設的な道ではないでしょうか。このような姿勢を基軸としながら、このたびの共同研究では、大学(とくに私立学校)制度と「人文学」設定との関係。大学へのアジア留学生からみた「人文学」の仮想。バーチャルな「学」としての「人文学」にくみした先人(津田左右吉その他)、などを具体的な課題として、近代日本における「人文学」の仮想と、その「危機」と「再生」の意識・感覚の必然性や矛盾について一歩踏み込んでみたいと考えているところです。293