ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALまた、中国と日本などの東アジア国際関係の中で韓国仏教の位相を推し量り、今日の時点で韓・中・日三国が仏教的相生と?起世界を共に繰り広げることに役に立てることを期待する。韓国仏教は、中国仏教を経由して伝来した。今日に伝わる伝来当時の仏像等は、全てが中国様式をそのまま模倣していることが分かる。しかし、それはあくまでも外形的な模倣であって、内心までは中国仏教を理解したり信仰したりする段階にまでは至らなかった。韓国の古代仏教書でもある『三国遺事』は、当時の信仰形態をよく伝えているが、それによると初期の仏教は、仏教伝来の以前から存在している各種の神話によって理解されたり信仰されたりしていた。これを通じて、文化の伝来過程を推察してみると、先ず外形の文化が受容され、続いて内容的な面が受容される事例をよく見出せるが、韓国仏教もこのような過程を辿ることになった。即ち、最初は寺院を築き、仏像を奉安し、僧侶に仏教儀礼を行わせる仏教に留まっていたが、次第にこのような外形的な仏教が持つ意味とは何かについての疑問が生じ、仏教教義を理解しようとする意欲が大きくなった。僧朗を始めとする円光(555~638)、慈蔵等の三国時代の僧侶たちが競って中国に渡り、新たな仏教思想を学んでくるようになり、それによって新たな仏教思想についての理解の基準が出来て、仏教を通じて中国文物との交流が始まることになった。更には、韓国文化という狭い世界から脱却してより広くて普遍的な世界観と文化意識を追究することになった。元曉(617 ~ 686)・義相(625 ~ 702)・円測(613 ~696)・慧超(704~787)のような高僧がその代表的な人物として数えられ、その他にも数多くの求法僧たちが中国や印度で水準の高い教学を求めるために、あらゆる苦行を顧みず努力していたことは、中国の各種の高僧伝がよく伝えてくれている。一方、古代韓国社会はこのように受容した仏教を自分だけで享受せず、これを更に日本に伝え、日本が古代文化の土台を築くことに助力した。日本各地で百済という名称が多く使われているのがよく見受けられる。日本文化の中で百済文化の影響がそれ程大きかったのは誰でも容易に推し量れる。例えば、百済町、百済郡、百済駅、百済寺、百済神社、百済観音などの名称がよく見られる。これらの名称の共通点は、殆どが関西地域にあることである。この地域には、古代社会から百済の移住民たちが多く定着しており、今に至るまでも百済文化の名残が残っているのである。大阪府枚方市で特別史跡に指定されている百済寺跡がある。百済寺は、百済王族の氏寺であって、寺の西側には百済王神社があった。伝わる話によると、百済王敬福は宮内卿兼河内守となって、百済郡の土地に移住することになったと言う。よって、氏神を奉る百済神社やその王族を保護するために百済寺が建てられることになったのである。このように、日本には百済滅亡以後、集団で移住して来た移住民たちが至る所で集団的に暮らしながら彼らの文化を残し、それが今日まで伝承されていることが分かる。一方、これとは異なって、日本人たちの精神の中で自ら百済人の末裔とか、或は百済文化の伝統を自分たちが継承していると、強く信じているのみならず、それを誇らしく主張してきた事実を確認することができる。Ⅱ.韓国仏教の大衆化以上で見た新羅時代までの韓国仏教の展開過程を見ると、4世紀から6世紀までは中国仏教の模倣時期であり、7世紀から10世紀までは、中国から高い水準の仏教思想を受容して韓国仏教の体質を形成する時期であった。ところで、ここで注目すべきなのは、当時の韓国仏教は仏教をより幅広く理解し、より様々な階層に広めることに努めていたことである。それは、まるで21世紀の今日の仏教界が当面することとも深く関わっていると考えられ、またこのような韓国仏教を今日の国際社会が再認識する必要があると考えるからである。韓国仏教史における高麗時代(918~1392)の仏教がこのような性格を持っていたのである。即ち、新羅時代までの仏教が学問的・理論的仏教を展開させたのであれば、高麗仏教はそれを生活化してあらゆる分野で仏教文化を発展させたのである。今日に伝わる高麗蔵経の版本・高麗青瓷・高麗仏画等はその代表的な文化遺産として数えられる。その他にも高麗時代には、諸般の日常生活に至るまで仏教文化が深く染み込んでいたのは『高麗史』等の史書でよく伝わっている。しかし、このように高麗時代に仏教文化が大きく発展できた理由は、新羅時代に築かれていた仏教思想の基盤があったからこそ可能であった。一方、中国の宋・元との文化交流が、高麗人た304