ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

東アジア仏教における韓国仏教の位相ちにより幅広い文化意識を持たせたことも非常に大きな影響があったと考えられる。ここで、文化交流とは親善的な性格もあるが、相互に葛藤や対立をみせた時期にも文化発展が促進することになったことを忘れてはいけない。文化の発展は、社会的発展によって、常に新たな契機に遭遇しないと衰退するという特質を持っている。高麗時代の末期になると、新たな禅風を引き起こし、衰退しつつある仏教文化の発展的転機を作ろうとしたが、新興士大夫たちによって新たに受容された朱子の性理学(朱子学)の勢力に押され、仏教は衰退期を迎えることになる。それは、性理学が仏教思想と比べて優れた思想体系を持っていたからではなく、これを信奉する知識人階層が社会の指導層を形成していたためである。よって、高麗以後の朝鮮時代(1392~1897)の仏教は、知識人層からは疎外され、一般民衆層を対象とする仏教に変わっていく。即ち、学問的・教学中心の仏教から信仰的・祈祷中心の民衆仏教に変わらざるを得なかったのである。ここで深い教理思想の理解よりは読経・信仰儀礼等による祈祷仏教の信仰的基盤をより深く根付かせることができた。一方で、朝鮮時代の仏教は無知な愚夫・愚婦らによる盲目的な迷信に近い信仰形態に過ぎないと、否定的な評価を下す人もいる。しかし、筆者は決して朝鮮時代の仏教がそのように評価されるものではないと考える。何故なら、宗教としての仏教は理論的な学問の世界に止まるのではなく、信仰心による強い実践行為にもっと大きな意味があると考えているからである。振り返ってみると、今日の仏教は、合理的・理論的仏教の側面だけにその価値を見出そうとしているところに問題があると考えられる。何故なら、実践を伴わない宗教的理論は、既に宗教としての意味を失っていると信じるからである。そうすると、韓国における朝鮮時代の仏教は、信心に基づいた仏教として基盤を固めていたといえる。従って、学問的には排撃された仏教であっても、信仰的には王室や士大夫層によっても仏教は信仰心を発揮することができた。そして、このような信仰心による朝鮮時代の仏教があったからこそ、4世紀以来継続して築いて来た仏教思想や仏教文化の遺産を今日にまで伝承することができたのである。Ⅲ.東アジア仏教と韓国仏教の特徴東アジア三国の仏教は、各々異なる思想と文化、伝統によって様々な形で展開された。印度仏教が思弁的・瞑想的であれば、中国仏教は分析的・理論的である反面、日本仏教は情緒的・実践的であるという。よく日本仏教の特色を宗派仏教に求める。ところが、宗派仏教としての性格は、中国でも見られる。即ち、各経典に対する教相判釈が発達したため、これを分析的・理論的だという。しかし、これによって、各経典の教相判釈による宗派の分派は可能にするが、中国仏教はそうではなかった。教相判釈とは、あくまでも学問的な対象であって、宗派を作るための手段ではなかった。しかし、日本仏教は各々異なる教義による実践的な方向を確立することによって宗派が生じることになった。言うならば、教義の観念的な信仰体系のみに満足せず、それを形象化し、形象化した対象によって信仰観を確立して行く。念仏による往生、座禅による成仏、唱題による成仏、密儀による即身成仏等、このような修行の方法がはっきりとしており、そこで期待される結果もまた明らかである。従って、このような宗派仏教が情緒的な性格を持つのは当然である。しかし、このような形象的な意味を持っている宗派仏教が形式化しすぎると、滅多にその枠を脱することができなくなる。即ち、今日の仏教が葬礼式仏教という枠を脱せられないのはこれをよく説明してくれる。先に説明した印度・中国・日本の仏教と比べて、韓国の仏教はどのように説明することができるのか。普通、仏教は印度で発生し、中国で発展し、韓国ではその完成をみることになり、日本ではその実践の普及に寄与したという。韓国仏教に完成の意味を付与することは、元暁の総和仏教に大きな原因がある。元暁は『十門和諍論』で仏教思想と教理の融和を披瀝した。単に雑多な宗派仏教的な要素をあまねく調和させるのではなく、様々な原理が一つに帰し、また多様に展開する根源的な相関関係を把握していたのである。このような元暁の総和仏教の思想は後世に伝わって、歴史的に韓国仏教は宗派仏教ではなく通仏教を展開していくものの、総和仏教としての機能的作用力は弱化・形式化されてしまう。やがて韓国仏教にも日本仏教の曼茶羅のような信仰様相を見出せるようになる。即ち、在来の土俗信仰及び宗派仏教的な諸要素を統一的な体系の中で受容し305