ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL NO. 3 (2015. 10)須弥山石窟の分布と開鑿須弥山石窟の分布と開鑿羅?The Layout and Excavation of the Xumishan GrottoesFeng LUOAbstractSumeru Grottoes, one of the largest grotto groups in Ningxia province, are located about 50 kilometersaway from northwest of Guyuan in Ningxia province. The grottoes feature 8 spots and house more than 150caves. Founded during the Northern Wei dynasty and used until the Ming and Qing dynasties, they wereimportant Buddhist temples at the time. Presently, they are of great importance to the study on the spreadand development of Buddhism in Guyuan and the northern areas from the Northern Wei dynasty until theMing dynasty.はじめに須弥山は寧夏固原市の西北約50キロの黄鐸堡郷(図1)に位置、六盤山脈の支脈の一つであり、南北に延びている。南北1800メートル、東西700メートルの範囲のなかに100あまりの大小の石窟が分布している。これらの石窟群は北魏の時代に造られ始め、北周、隋唐の開鑿最盛期を経て、宋、金、明の歴代に渉って大規模な修築が繰り返され、往時にあっては重要な仏教寺院であったが、清代以降は漸次衰えた。一、須弥山石窟の分布須弥山石窟は清代に衰微して以降、知る人もまれであった。20世紀50年代に入ると、始めて簡単な調査が行われた(1)。1962年、寧夏回族自治区文化局は文化財研究者を組織し、調査を行い、彫像が残されている20あまりの石窟に編号した。1982年、寧夏文物管理委員会と中央美術学院は共同で須弥山石窟の考古学的調査を行った(2)。この時指揮を取ったのは中央美術学院の王瀧教授である。この調査では石窟の分布状況の全容を明らかにし、各石窟に編号し、合計132窟に整理した。南は寺口水河から北は黒白溝まで、東は和尚墳から西は青山梁までの石窟群を八つに区分し、1~5窟を大仏楼区、6~39窟を子孫宮区、40~50窟を円光寺区、51~103窟を相国寺区、104~108窟を桃花洞区、109~118窟を松樹?区、119~125窟を三箇窟区、126~132窟を黒石溝区(図2)と分類した(3)。他にもいくつか編号されないものがあったが、後に付窟として整理され、石窟の総計は156に達した(4)。最近の調査では隣接する禅塔山窟区からさらに10窟が発見された(5)。現存の須弥山石窟の区画分けと、石窟を掘削した際の人々の場所選定とは密接な関連がある。開鑿者は時代ごとに異なった区域を選択して石窟を穿ち、自然と区画分けがなされ、道路を開いて交通、連繋した(図3)。須弥山石窟はおおむね海抜1680メートル以上の313