ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL与していることを示している。その先祖が原州須弥山において開鑿に関与した可能性があるとしても何ら不思議ではない。須弥山の、北周51窟の開鑿は北周の武帝の排仏運動の影響で完成を見なかったが、隋代に入ると、続けていくつかの仏龕が穿たれた。三、須弥山石窟の開鑿工程須弥山は主として第三紀の砂岩、泥岩、礫岩、及び下白亜統六盤群の頁岩、泥灰岩によって形成される(20)。石窟が穿たれている南側斜面は第三紀の砂岩で、赤紫色、橙色の中砂・粗砂状の構造を呈し、主として粘土質鉱物、鉄質、炭酸塩が凝固したもので、その含量は5~10%であり、それらは砕屑鉱物とともに、薄膜状に、あるいは相互に融合する様式で、結合する。砕屑鉱物の主要成分は石英であり、約70~80%を占め、それ以外は斜長石、燧石、白雲母、方解石、磁鉄鉱などである。岩質は柔らかく、結合はそれほど強くない。この種の紅砂岩の特徴は、開鑿しやすい点である。ただ結合力が弱いために水分を吸収し、湿気を帯びやすく、容易に風化剥落してしまう。この地方は東南風が盛んに吹き、西北風がこれに次ぐ(21)。人々が洞窟を開鑿する際、南向きで風のあたらない崖面を選んでいるのは、明らかに地質的要素を考慮した結果である。東向きというのもそれなりによい選択である。北向きのものは非常に少なく、ほんの数カ所があるのみだが、風化が著しい。須弥山の石窟群は中心柱窟のものが多いが、開鑿当時の工匠らは明らかに山体の岩石の特性を考慮している。第45、46、51、105窟などの重要な大型石窟もすべて中心柱を有するが、これは仏教建築の様式として必要であるのみならず、施工上の理由からも必要とされる。工匠らは、雨水による浸食により石窟が破損するのを防ぐため、精緻な排水システムを設計し、石窟上方の崖面の、雨水があたる部位に「人」字形の排水溝を切った。降雨時、雨水は溝を伝って、あらかじめ穿っておいた貯水穴に流れ込む。かくして、雨水による浸食を防ぐと当時に、僧侶らの生活用水の問題をも解決した(22)。円光寺の20メートルに及ぶ排水システムは、石窟の保護に効力を発揮してきた。須弥山の132窟のうち、排水溝を有するのは23窟、17.42パーセントを占め、そのうち北魏のものが2、西魏が2、北周が6、北朝が1、隋唐が2、唐が6、明清が4である。排水溝の形状は「人」字形(11)、直線形(10)、斜線型(1)、アーチ形(1)がある(23)。中心柱窟の特徴は、石窟中央部に方形の石柱を設え、柱と石窟頂部は繋がっており、四周が回廊になっている。掘削時、あらかじめ方形の柱を彫り残しておき、後にさらに彫刻を加え、柱の頂部は収分〔頂部を小さくする〕に造る。石窟外の窟檐や楼閣などの木造建築物は、明らかに石窟を保護する働きをし、また石窟内部の活動可能な領域を拡大している。ただこうした建築物が、当初から建てられていたのか、それとも後世に築造されたものか、さらなる研究を要する。第105窟の石窟群前部の建造物はすべて当初から設計され、一度に建てられた可能性が高い。このため、石窟の前に11×8メートルの台が掘削され、八つの柱洞が穿たれている(図7)。須弥山石窟は山体の特徴を存分に利用し、重要な石窟の前部には寺院を建立するための台を築き、交通網を整備することにより、各山の区域間の連繋を可能にした。それぞれの時代に応じて、それぞれが活動可能な空間を有していたが、これは明らかに細心な設計に基づくものである。注?劉敏『甘粛固原的石窟造像』、『文物参考資料』、1956年4期、54頁。朱希元『寧夏須弥山円光寺石窟』、『文物』。?寧夏回族自治区文物管理委員会等『須弥山石窟』文物出版社、1988年、参照。(3)寧夏回族自治区文物管理委員会等『須弥山石窟内容総録』文物出版社、1997年、参照。(4) 1982年の調査に継ぎ、1986年、北京大学考古系は再び須弥山石窟に編号と再調査の作業を行い、先の調査で編号されなかった小龕に対しては新たに窟号を付けることはせず、附属窟に編入するという方法で解決した(馬世長等『須弥山石窟内容総録』、『須弥山石窟内容総録』、27頁参照)。(5)この調査は寧夏文物考古研究所、浙江大学文化遺産学院聯合によって行われ、2010年より開始、現在も進行中である。316