ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

漢唐時期の西域仏教とその東伝ルート次第に西域漢伝仏教の中心とならしめた。こういったことだけでなく、晋唐時期の多くの高昌僧侶による西去・東行の弘法活動は、シルクロードの各地の仏教の交流と発展にも顕著な貢献をなした。例えば北凉時期の高昌高僧道普はかつて「経游西域、遍歴諸国、供養尊影、頂戴仏鉢、四塔道樹、足迹形像、無不瞻覿。善梵書、備諸国語、游履異域」し、後に南朝に入って弘法した。これより分かるのは、仏教のシルクロードに沿った伝播ルートは決して片側ではなく、双方向に影響を与えるものである。異俗」と記載がある。したがって、前漢時期の「西域」で指し示す範囲は乃ち塔里木盆地オアシス諸国で、実際は西域都護の管轄区域で、すなわち所謂狭義の西域である。しかし同伝に記載されている内容はここにだけに限らず、やはり葱岺以西の安息・大月氏・大夏・康居・大宛及び天山と天山以北の烏孫等の国を含んでおり、一部の国家はやはり明確に「不属都護」を表明することで区別し、これらは広義の「西域」が指し示す範囲とすべきである。『後漢書』西域伝に記述されている時期は『漢書』と関連のある「西域」の定義範囲を延長したのではあるが、広義と狭義の西域は明確な区分をしている。「西域内6、商業貿易仏教は印度で生まれ、伝播活動の多くは当時の商業貿易活動と関連があり、仏教の南アジアと中央アジアにおける伝播ルートはつまり当時の商業貿易のルートと一致する。「商人與仏教互相依頼、互相影響、商人靠仏教發財、仏教靠商人伝布(商人と仏教は互いに依存し、互いに影響しあい、商人は仏教に頼り財産を作り、仏教は商人に頼り広まった)」のである(19)。シルクロード開通とシルクロード貿易の隆盛は、仏教東伝のために交通の便利と物資の基礎を提供した。漢唐時期の西域諸国と内地との貿易の多くは「奉献」もしくは「朝貢」の名義によって行われていた。『三国志』に「魏興、西域雖不能尽至、其大國亀?・于?・康居・烏孫・疎勒・月氏・?善・車師之属、無歳不奉朝貢、略如漢氏故事」とある(20)。唐貞観十四年(640年)に高昌を平定した後、「伊吾之右、波斯以東、職貢不絶、商旅相継」となった(21)。これらの西域各地の中でも「仏国」于?・亀?等から来た商人は、内地への貿易と同時に、知らず知らず彼らの信奉している民間仏教を導入した。この種の民間仏教の伝播は、僧侶の動きほどには注目されなかったが、却って知らず知らずの間に思想の変化をもたらした。その仏教東伝への貢献は、文献記載の欠失によっても後人の忘れるところとはならなかった。注属諸国、東西六千余里、南北千余里、東極玉門・陽関、西至葱岺。其東北與匈奴・烏孫相接」とある。ここの「西域内属諸國」とは狭義の西域で、明らかに政治的含義がある。?沈福偉『中西文化交流史』(第102頁、上海人民出版社、1985年)を参照。(3)羽溪了諦著・賀昌群訳『西域之仏教』(第139?140頁、商務印諸館、1999年)。(4)呉震『寺院経済在高昌社会中的地位』(『新疆文物』(1990年第4期)。(5)『後漢書』巻八十八(第2914頁、中華書局、1965年)。『隋書』裴矩伝所録の《西域図記》の序言の中に「其三道諸國、亦各自有路、南北交通。其東女国・南婆羅門国等、并随其所往、諸處得達。故知伊吾・高昌・?善、并西域之門戸也」と述べる。(6)上述の新疆区内に現存している仏教遺跡の分布情况については、新疆維吾爾自治区地方志編委員会・『新疆通志・文物志』編纂委員会『新疆通志・文物志』(第218頁?260頁、新疆人民出版社、2007年)を参照。(7)釈僧祐撰、蘇晋仁・蕭錬子点校『出三藏記集』(第265?266頁、中華書局、1995年)。(8)湯用?『漢魏両晋南北朝仏教史』(上册)(第196?197頁、中華書局、1983年)を参照。(9)釈慧皎撰・湯用?校注『高僧伝』(第30頁、中華書局、1992年)。(10)『魏書』巻四下(第97頁、中華書局、1974年)。(11)釈僧祐撰、蘇晋仁・蕭錬子点校『出三藏記集』(第?後漢和帝(公元88?105年在位)期成書の『漢書』西域伝が最も早く明確に「西域」の範囲を定義づけた。「西域以孝武時始通、本三十六国、其后稍分至五十余、皆在匈奴之西、烏孫之南。南北有大山、中央有河、東西六千余里、南北千余里。東則接漢,扼以玉門、陽関、西則限以葱岺」、同時に「西域諸國大率土著、有城郭田畜、與匈奴、烏孫515?516頁、中華書局、1995年)。釈慧皎撰・湯用?校注『高僧伝』(第145?146頁、中華書局、1992年)。(12)『四十二章経序』。(13)釈僧祐撰、蘇晋仁・蕭錬子点校『出三藏記集』(第289頁、中華書局、1995年)。(14)釈僧祐撰、蘇晋仁・蕭錬子点校『出三藏記集』(第325