ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

新羅仏教の大衆化と元暁において重視される論として万法唯識を強調している。元暁は、このような大衆仏教の二大潮流の中の論争を対立させ、『金剛三昧経』と『大乗起信論』を通じて、会通させようとしたのである。すなわち元暁にとって、破壊すことを強調する金剛三昧の側面と、立てることを強調する摂大乗経の側面を統合する論として注目したのが『大乗起信論』であり、経の次元から注目したのがまさしく『金剛三昧経』であったのである。空有争論については、元暁の観点は、経の次の文章からもよく現れている。「もし様々な異見の争論が起こったとき、有見に同調して説くならば、空見と反することになり、空執に同調して説くならば、有執と反することになり、同調してもしなくても、争論を引き起こすだけである。そうして二つの見解すべてに同調するならば、自身の内部で新たに論争することになり、もし二つの見解すべてに反するならば、その二つの見解と新たに論争することになる。このような理由で、同調も反駁もせず、説法するのである。同調しないということは、そのまま受け入れ、二つとも認定しないことであり、否定しないということは、その意は汲み取りながら、認定しないことがないということである」(6)。すなわち、対立しているどちらか一方に加担するのではなく、二つとも認めたり、二つとも否定したりもしないことをいい、元暁は争論からの超越的姿勢、すなわち大衆社会の和合のための実践理論を提示しているのである。2行績元暁は、義湘とともに留学に向かう途中、一心を悟り、唐留学をやめ、慶州に引き返した。その後、彼は恵空・大安たちと交流しながら、大衆教化活動に邁進することになった。当時、元暁の行跡については、「言う言葉は常識と道理に逸脱し、現れた行動は目障りで乱暴なものであった。居士のように酒屋と妓生宿を出入りし、誌公のように刀と錫杖を持った。疏をものし、華厳経を講義したり、牛馬の小屋で加耶琴を弾き歌ったりもして、俗人の家で寝たり、山水の間で座禅するなど、心の赴くままのことをして、まったく定まった型がなかった(7)、と『宋高僧伝』は伝えている。定まった型がないとは、僧侶の生活規範である戒律に束縛されていないという意味である。『四分律』によれば、僧侶が俗人の家で寝たり、楽器を弾いて歌ったり、刀を持ったりすることはすべて禁止された行動であり、酒家と妓生家は僧侶として出入が禁止されている場所である。また『涅槃経』巻7・邪正品でも「酒屋や妓生家および棋院に出入りして、遊ぶ人たちを教壇から追放しなければならない」といっている(8)。『四分律』と『涅槃経』は、慈蔵が仏教教団を整備するとき依拠した経典である。したがって、元暁は、当時の仏教界の自讃毀他に対する戒律意識に対して、彼の『菩薩戒本持犯要記』で次のように指摘している。「達磨戒本の初戒である自讃毀他の場合、軽重の四分があるといえる。第一。ある人に信心を起こさせるようにするためにした自讃毀他ならば、それはむしろ福となる。第二。性格が放逸であり、別に悪い考えが無く行った自讃毀他ならば、それは過ちを犯すことには違いないが、心まで悪に染まったとは言えない。第三。ある人を特に憎んだり、特に好んだりするような心のために、自讃毀他を行ったならば、あまり重大ではないが、心が汚染されているといえる。第四。自讃毀他の目的が貪求利養恭敬にあるならば、これは重大な誤りである」(9)とし、元暁は、戒を犯すことについて、煩悩にまみれた心の程度によってその罪は決定されるのであり、その行動の如何にかかっていると考えていないのである(10)。その後、元暁は薛聡を生んだ後に、当時の戒を捨てて、俗人の服に着替えて、自ら小姓居士と名乗った。道化が踊るときに、大きなひょうたんを持つのだが、その珍貴で奇異な姿の道具を作り、『華厳経』の「一切のさまたげがない人は、一道でもって生死を出過する」(11)という句節に従い、無碍と名付けて、衆生を教化するために、世上に流布させ、歌い踊り、村々を訪ね、卑賎階級の人であるか否かにかかわらず、人々に仏の名号を知らせたという(12)。このように元暁は、一心・一覚・一味・一乗が同じ意味の異なる表現に過ぎず、衆生心によって、彼は衆生の中で衆生心をもって共にあることが当然であると感じたから、一般人にさらに多くの観心を見せたといえる。実際に彼が主に接触した人々は、卑賎の身分の蛇福、履物売りの広徳、および彼の居所であった芬皇寺の奴婢、農民である厳荘たちのよう347