ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

??varapratipattiprak??aにおける諸主宰神論の統合方法の解明このヴァースデーヴァとは,最高のアートマン即ち精神性が何の限定も受けていない,当に本質そのままの状態のことである.ところで,このText 3においては,特にヴァースデーヴァがどのようにアドヴァイタ教義化されているのであろうか.?PPでは記述が簡単すぎるため,?PPと同様のヴィユーハ説が説かれている,マドゥスーダナの別の著作Paramaha?sapriy?(PP,Bh?gavatapur??aprathama?lokavy?khy?)の記述を検討したい.Text 4 PP 69, 15-17:anupahita? tu caitanya? sarv?nusy?tasanm?tra?sarvas?k?iparam?nandaghanam avikalpa itiv?sudeva iti c?khy?yate.一方,制約されていない精神性は,一切のものに[一貫して]織り込まれた有のみであり,一切のものの目撃者(s?k?in)である最高の歓喜の塊であり,「無分別」(avikalpa),また「ヴァースデーヴァ」と呼ばれる.このText 4における制約されていない精神性(caitanya),有のみ(。sanm?tra),最高の歓喜の塊(。param?nandaghana)という表現は,絶対者ブラフマンの本性を述べる際の「有,知,歓喜」(saccid?nanda) (24)に対応していると考えられる.従ってヴァースデーヴァは,絶対者ブラフマン,即ち最高のアートマンそのものを指すと考えられる.また,ヴァースデーヴァが一切のものの「目撃者」と呼ばれているが,このことは,シャンカラのPK等において,最高位のアートマンが目撃者と呼ばれていること(25)と一致する.従って,ヴァースデーヴァも,アドヴァイタ教学における絶対者ブラフマンとして位置づけられる.そしてこのヴァースデーヴァと同一視される,ヴォーパデーヴァのヴィシュヌ派説における無形相者とシヴァ派の教義体系におけるサダーシヴァも,同様に絶対者ブラフマンとして位置づけられることになる.ところで,マドゥスーダナはSBの中で,全世界を「見る者」(d??)と「見られるもの」(d??ya)に二分し,更に「見る者」を「目撃者」(s?k?in)と「主宰神」と「命我」(j?va)とに三分していた.更に主宰神は,ブラフマー,ヴィシュヌ,ルドラの三様の姿を取ると言う.その構造を図示すると図3の様になる.それぞれの項目名の下の括弧内は,それぞれの限定的条件である.図3における主宰神観がサンカルシャナや,ヴォーパデーヴァとシヴァ派の教義体系とにおける有形相な一者の教理に一致することは既に述べた.ここでは更に,この図3における目撃者と?PPやPPにおけるヴァースデーヴァ,無形相者,サダーシヴァとが対応するということを指摘したい.Text 4においても,ヴァースデーヴァの形容の中に「一切のものの目撃者(sarvas?k?in)である最高の歓喜の塊」という表現が出てきており,図3における目撃者とヴァースデーヴァが対応することに関しては何の問題も無い様に思える.しかし,SBにおいて,目撃者は一見,限定的条件を有していると述べられているように考えられる.Text 5 SB 372, 1-3:s?k?? tu sarv?nusa?dh?t? sarv?nugatas tur?y?khyaekavidha eva. tatrop?dhibheden?pi na kvacidbheda?. tadup?dher ekar?patv?t.一方,目撃者は,一切のものの確認者(anusa?dh?t?)であり,一切のものに随伴する(26)図3? Siddh?ntabinduにおける「見る者」(d??)の構図アートマン目撃者(原像性)主宰神(原因たる無知:三属性)命我(内官とその潜勢力によって限定された無知)ブラフマー神(無知の激質)ヴィシュヌ神(無知の純質)ルドラ神(無知の暗質)33