ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALに、各自の生業にあくせくする一般民衆であった。そういうわけで、彼らを教化するために元暁は、彼らの日常的な生の中に入り、ともに悩まねばならなかった。一例として、蛇福が母の喪に直面したとき、元暁は一緒に葬礼をとりおこない、死んだ者に対して菩薩受戒をし、臨尸祝までも行ったように(13)、彼の教化の方法もまた衆生たちの生の数だけ存在していた。これは『宋高僧伝』において、人を教化することが一定のものではなかった(14)という言葉に代弁されているだろう。元暁は、衆生を済度するための方便として、浄土信仰を活用した。新羅初期では支配層中心の統治理念としての弥勒下生信仰が先行していたのに対して、彼は衆生心から始まる弥勒上生信仰をより重視した(15)。そして『起信論』の影響で弥勒浄土より阿弥陀浄土信仰に移って行ったようである(16)。これは、彼が「穢土と浄土は本来一心である」(17)といい、浄土を心の問題として解釈しようという傾向があったことからもわかる。彼は浄土信仰を受け入れた後、現実とかけ離れたところに存在する浄土を想像しなかったということが、このことを代弁しているのであり、またそれは彼が検証できない理想形よりは、現実社会で苦悩する衆生たちの実存的な問題を直視したためであるといえるだろう。だから、すべてのことを心の次元に帰一させ、本来の心を悟らせることによって、浄土を実現させようとしたのである。そして、そのような浄土に往生しうる要件として、彼が提示したのは、もっぱら耳に経名を聴き、口に仏号を唱えることであった(18)。そのうえ、農民である厳荘に?観法を教えた(19)というように、一般民衆が実行しやすいように、彼らの環境に適した言葉で教化をしたのである。つとに恵空と大安は、それぞれ「あじか」と鉢を媒介にして、大衆を教化したが、元暁はそのような伝統を引き継ぎ、?という日常的な道具を活用して、厳荘を教化したのである。このような元暁の活動によって、一般民衆の間に阿弥陀浄土信仰が急速に拡散した。仏教大衆化を完成させた元暁に対して、後世の一然は、貧しく、学ぶこともできない一般民衆たちでさえ、すべて仏の名を知ることになったのは、もっぱら元暁のおかげであると高く称揚している。かくして、元暁の大衆教化に対する業績を充分に推し量ることができる(20)。一方、元暁は、際立った奇行と破戒行によって、当時の仏教界からしめだされていた。『宋高僧伝』によれば、「そのとき、国王が百高座法会を開催しようとして、高僧たちを残らず招聘した。本州では、名望があるために元暁を推挙したものの、多くの僧侶たちが、彼の奇行と破戒行を嫌い、王に讒訴して、彼を受け入れなかった」(21)というように、本州の推挙にもかかわらず、仏教界の反対で元暁は百高座法会に参加できなかったという。もともと百高座法会は、仁王経を基にした法会として国家意識の高潮に重点をおいているのだが、新羅の場合、教団の中心寺院である皇竜寺で挙行されることが慣例であった。したがって、元暁のようなものが、百高座法会に出席することは、皇竜寺をはじめとした既成教団の反発を招くほかなく、ついに元暁は参加できなくなってしまった。ところで、元暁が既成教団の反発と不利益を顧みず、奇行と破戒行を行いながら、庶民たちを中心に衆生教化に邁進した理由は、何だったのか。もちろん、それは三清浄の菩薩行といえるだろう。しかし、このことを彼の社会観から考察してみると、それは二つの理由があったことがわかる。第一は、当時の新羅社会では三国戦争が最終段階に到達し、戦争の勝利のためだけに国力が傾けられることになり、一般の庶民層の生活苦に対しては、なおざりにされていたのである。そのようななか、仏教教団もこれに没頭して、一般民衆を等閑視したまま、国家的大事のためだけの法会などに力を入れていた。たとえば、新羅の代表的法会である百高座法会はもちろんのこと、八関会や、明朗が駆使した文豆婁の秘法を通じて、唐の軍を撃退させるなど、大部分が国家戦争の勝利のための国民統合のためのものであった。これに対して、元暁の庶民を中心とした仏教大衆化は、国家的に展開される既成教団に対する不満によるだけでなく、仏教大衆化をめぐる問題意識を持って、国家的に進行する大衆化の諸課題を補うために、一般庶民と哀歓をともにし、衆生教化の先頭に立ったと考えられる。このことは、元暁も戦争に行き、蘇定方の暗号文を解読したことで、新羅軍の危機を救うことになったというような戦功譚から推し量ることができるだろう(22)。そして第二は、当時既成教団に向かって、大衆仏教精神である真正な菩薩事業を基にした菩薩行に入っていこうとするものである。本稿ではすでに、348