ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

『華厳経』と日本古代国家たという(堀池80初出73)。以上の『東大寺要録』の記載は、天長七年(830)に勅命を奉じて撰進された「天長六本宗書」の一つである普機撰の『華厳宗一乗開心論』にもとづき書かれたものなので、一定の事実が反映されているとみてよい(家永94初出38)。すなわち、天平十六年までには、広く官人層を巻き込んだ「知識」形式の『華厳経』の供養会が、王権により財源を付与される形で推進されることとなったわけである。なお、こうした動きは、紫香楽での大仏建立の頓挫によって再編された可能性があるものの、それは金光明寺(東大寺)での大仏建立再開とともに、『要録』で「華厳別供」と称された天平十二年以来の供養会を発展させる形をとって継続された。正倉院文書中の天平二十年(748)九月九日付の牒で確認できる「花厳供所」は、この「別供」のための組織で、これが後述する南都六宗の筆頭たる花厳宗の母胎となっていくとみられる。2.『華厳経』と教学・思想編成次に、古代国家による『華厳経』の位置づけについて、仏教教学総体やその他の諸学問などとの関係の中で考えてみよう。古代国家は、八世紀の前半までには、遣唐使や留学僧らを通じて知った唐での仏典漢訳事業-教相判釈やそれらを踏まえた欽定入蔵録の整備と諸「宗」の形成・展開の様相、および新羅との交流により知り得た新羅王権の仏教興隆の動向などをみすえ、内裏や皇后宮職などでの将来経典にもとづく一切経書写事業や、その教学の編成と仏教の専門的担い手集団となる学僧の育成に取り組み始めた。一切経の書写事業では、正倉院文書の本体たる東大寺写経所の事務帳簿群を成立させた光明皇后発願の「五月一日経」が著名である。これは、遣唐留学僧であった玄昉が『開元釈教録』に収録された経典類を買い求め、天平七年(737)に日本にもたらした五千巻余の経典群を主な底本として、皇后宮職系統の写経所(これがのちに東大寺写経所となる)が始めた事業である(皆川12初出62)。また、それとは別に聖武が遂行していた内裏系の一切経書写事業でも、玄昉の帰国後には、彼の将来経典をもとに事業が継続されたことが知られている(栄原00初出94)。さて、その天平六年の内裏系の一切経書写に際して経典に付された跋願文によれば、聖武はあらゆる「経史」(漢文典籍)の中で、「釈教」とりわけ『華厳経』に代表される「一乗」系(如来蔵系)の教学を最上とし、一切経を書写した旨を述べている。ちなみに、これに前後して古代国家は、仏教以外の陰陽・医術・七曜・頒暦などの諸学業も奨励している(『続日本紀』天平二年三月辛亥条)。そうした動向を踏まえてこの聖武の跋文をみると、その意味は、聖武が、仏教(漢訳仏典)を諸思想の頂点に置くことを宣言するとともに、それを前提に仏教を含むあらゆる漢文典籍にみられる知識・思想の「一乗」教学を軸とした序列づけをも意図したものと考えうる。その後、大仏造立事業遂行のさなかの天平感宝元年(749)閏五月癸丑(二十日)に、そうした国家的方針の集大成ともいうべき詔が出された。ここで聖武は「太上天皇沙弥勝満」と自称して出家の意思を示しつつ、自身が従う仏教の教説の中で「以二花厳経一為レ本」ことを宣言している。そして『華厳経』を基軸として、「一切大乗小乗経律論抄疏章」(文字通り現存する一切経典類すべて)の「未来際」に至るまでの転読と講説を命じ、それを実現するための財源として、東大寺や大安寺をはじめとした平城京および畿内近辺の十二の官大寺に、墾田地や稲・綿など多くの資財を施入している(『続日本紀』同日条)。古代王権は、『華厳経』を頂点としたあらゆる仏教の教説の恒久的な講読体制を構築し、その普及によって、君主聖武自身の長寿と、天下太平を祈念しようとした(中林07b)。そして、この詔による『華厳経』を根本とした仏法総体の教学的編成を実現するために、一切経典の転読と講説を分担するための枠組みと、分担講読を実践する中央学僧集団たる南都六宗の体制的な整備が進められた。六宗とは、花厳宗・法性宗(法相宗ではない)・三論宗・律宗・倶舎宗・成実宗を指す。天平勝宝三年以降、詔の財源をもとに「布施法」が定められ、宗ごとに転読・講説すべき経典類が割り振られ、講読すべき各経典ないし経典グループごとに講師・複師に支給する布施額が設定されている。正倉院文書には、六宗のうち花厳宗・法性宗・律宗・倶舎宗分の、そうした講読分担すべき経典群リスト(布施勘定帳)の下書きが残っている。「花厳経為本」を体現し、六宗の筆頭と位置づけられた花厳宗の講読担当経典類とその講読に際しての講師・複師らへの布施額を定めた「華厳宗布施法定文案」は、天平勝宝三年(751)五月二十五日の353