ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALた時代であったのである。「休止期」は、前伝期の統一国家が崩壊、各地方における豪族が勃興し始めた時期である。実は、該当期間中には、これまで知られてきたこととは異なり、仏教は普及しつつあった。敷衍すると、休止期には、法王の時代の幕を閉じさせたラング・ダルマ(Lang dharma、836~842)の廃仏事件以来、仏教は弱体化していったといわれてきた。しかし、この休止期こそが、「上から」の仏教ではない、「下から」の仏教が民間信仰として定着していく期間である。そして、以後の「後伝期」における大蔵経造成事業本格化のバック・グラウンドとなるのである。こうした歴史的背景を有するチベット大蔵経の造成事業について記すと、前伝期における最大の作業といえるものは、①訳経事業に必要とされた「飜訳名義集」(12)と、②インドなどから伝来した経論を整理していく「目録(dkar chag)」(13)の製作である。国家次元で進められたこれらの作業(=「飜訳名義集」と「鄧喝目?」)は、のちにチベット大蔵経の造成において不可欠な翻訳用語の統一化ならびに体系のベース化をなしていく。これを「土台」に、後伝期となってからは、数多くの大蔵経造成事業が進むようになるが、その形態上の特徴は、漢訳大蔵経の経蔵・律蔵・論蔵の「構造」と違い、仏説部(bka’’gyur)および論疏部(bstan’gyur)によって構成されたという点である。その内、仏説部は、経・律・密で構成されているのに対し、論疏部は、多くの論書を初め、後期に伝来した密教経典も多く含まれている。このような仏説部・論疏部の構造は、すべてのチベット大蔵経の基本骨格をなしている。ただし、地方豪族の中には、経済的事情から仏説部しか造成できない場合もあった。チベット大蔵経は、徳格版と北京版に大別される。その内、いまの昌都地域である徳格の王であったテン・パ・チェリ・ング(ldan pa tshe ring、1678~1738)によって造成された徳格版は伝統があることから、また、清の康熙帝(1684~1737)の時代に造成が始まった北京版は、伝統と便宜性があることから、現在広く使用されている。徳格版は、現在も木版印刷され流通している。また、現代の印刷技術によって生まれ変わった北京版もまた広く流通している。かつては経論の内容のみを含んでいた北京版は、2008年より近代的な印刷形態で製作され始めたのである。それが「蔵文中華大蔵経」である。同大蔵経は、論疏部が現在作業中であるとされる。ここでチベット大蔵経の特徴を取り上げると、次のように言われている。第一は、サンスクリット原文を充実させる。第二は、異訳と誤訳を修正する。第三は、チベット人の著書(=注釈および訳―訳者)を排除する。ところが、サンスクリット語とチベット語の経典を中心に訳経してきた筆者の私見からすれば、以上の内、第一と第二が可能であるとは考えられない(14)。なぜなら、サンスクリット語の形態素の変化をそのまま適応(=訳―訳者)することができないチベット語の限界から、サンスクリット原文を充実させることと、それによる異訳と誤訳を修正することができるはずはないからである。それゆえ、同大蔵経に対しては、今後、他の板本・版本との比較作業が必要とされるであろう。3おわりに仏教はシルクロードを通じ伝えられてきた。それを受け入れる形でなされたのが、大蔵経造成事業であるが、同事業は、実に一国における文化の総和ともいえるものであった。以上で論じたように、その内の南伝仏教と北伝仏教は、全人類の文化遺産として大きく評価すべきであろう。近代に至り、南伝仏教典と北伝仏教典が活字化されたことで、大衆の接近もより容易となった。その最も代表的なものが大正新脩大蔵経であった。最近における国際的な文化交流のメカニズムといえば、それはインターネットであろう。インターネットとは、既存の空間的な制限を一気に飛び越えることを可能とする、画期的なメカニズムとして大きな意味を持つ。こうした背景のもと、高麗大蔵経研究所では、大蔵経のデジタル化に拍車をかける一方、そのソースコードを共有することに力を注いできた。日本でも、こうした時代の流れに応じ、大蔵経のデジタル化作業を試みている。また、チベット大蔵経の場合は、アメリカ仏教学会会長のロバート・サーマン(Robert A. F. Thurman)などが主導し、「論疏部訳経会議(Tengyur Translation Con-362