ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL(甲)(乙)(丙)三種の科儀書は、六世紀中葉から十五世紀中葉にわたって分散している。これら三種の科儀書を対照すると、そこに基本的な構造上の共通点があることに気づかされる。その基本構造は、畢竟次の四点を含むものと見ることが可能であろう。(1)世俗を辞去する儀礼出家志願者が俗世間を辞去する礼を設ける儀礼。出家志願者は、父母・祖先・天子および親朋に対して自分が受けた恩恵への感謝を表し、なおかつ出家後は彼等のもとを辞去する旨を表明する。(甲)では父母、九世の祖先、および天子への辞謝が行われる。(乙)および(丙)では、父母、祖先、天子に、更に「親知朋友」(乙)「親朋」(丙)が加わる。(2)三帰依三帰依は、明代の科儀書(丙)には載せず、(甲)(乙)二種にのみ載せられる。しかし、三帰依が欠けているのは不可解というべきで、ここでは(丙)に偶々載せていないものとみなしておく(2)。「三帰依」は「三宝」への帰依を表す言葉で、仏教から摂取した語であることは疑いない。ただし、仏教の三宝が仏・法・僧であるのに対して、道教の三宝は道(太上無極大道)・経(三十六部尊経)・師(玄中大法師)の三種であり道教独自のものである。道教における三帰依とはこれら三宝に対して、自己の身・神・命を帰するとする。(「至心歸身太上无極大道」のように表現する。)(3)易服の儀礼出家志願者が、俗服を去って道服・道冠を身につける儀を伴う儀礼。(甲)は簡略であるが、(乙)では履・裙・雲袖・道服・簪冠・簡の六種が授与されることが示されており、(丙)は(乙)をほぼそのまま踏襲する。(4)伝十戒の儀礼十戒の授与である。ただし十戒の内容についていえば、(甲)(乙)(丙)はそれぞれ出自の異なる別々の十戒を用いている。(後述)二、沙弥授戒儀との共通性これらはまた仏教の沙弥授戒儀との間の共通項として見ることもできる。拙論③では、道教の出家伝戒儀に共通する四点の儀礼要素に対応する儀礼が、唐・道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』(『行事鈔』と略称)に載せる沙弥授戒法においても見出されることを示した(3)。しかし、仏教・道教の出家儀における見過ごせない違いもある。仏教では四大広律以来、沙弥授戒儀において伝統的に重視されている要素のうち、いわゆる「乗白告衆」「作白告衆」のような出家志願者が僧伽に対して白一をもって剃髪し出家することの認知を求める儀があるが、道教の出家儀ではこれに相当する儀礼はない。これは、出家の認知を誰に得べきか、についての考え方が、仏教・道教の間で異なることを示すように思われる。仏教の場合は、やはり僧伽に重要な権威が付帯されている。仏教の伝統では、沙弥が剃髪し出家することはまず僧伽に告げられるよう定められているが、道教にはこれがない。道士集団を、仏教の僧伽に比肩するような、特別な宗教的正当性の源泉とする考えは道教には希薄といえる。これは、仏教の三宝が仏・法・僧であるのに対し、道教のそれが道・経・師であり、僧伽に対応するものとして師が置かれている事実にもよく表れているように思われる。三、道教出家戒の不安定性――在家戒の転用?十戒の内容の不安定性六世紀中葉から十五世紀中葉に分布する(甲)(乙)(丙)の出家伝戒儀の形式が相当程度一定であることは、道教における出家伝戒儀の形式上の安定を示すといえる。しかし、その反面で、(甲)(乙)(丙)の三種の中で出家志願者に授与される十戒の内容が全て異なっているという点は、道教の出家伝戒の内容的な不安定性をよく示しているといえる。(甲)の十戒は古霊宝経の一つである『定志経』(道蔵本所収『太上洞玄靈寳智慧定志通微經』)から独立して「天尊十戒」として単行したもの。(乙)の十戒(「智慧上品十戒」)も古霊宝経の一つ『太上洞玄靈寳赤書玉訣妙經』巻上に載せるものが、『太上洞玄霊宝智慧上品大戒』に採られ、広く用いられるようになったものと思われる。(丙)の十戒は、唐代後半に文献上に浮上して、宋代には在家・出家を含む修行者の生活を律するために用いられ、明初までには全真教の出家修行者が入門時に用いた。やがて明の周思得の科儀書で出家戒として採用され、366