ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

研究ノート:道教の出家戒に関する覚え書きその後は清初の王常月が構築した伝戒儀の出家伝戒儀(『初真戒律』)に採用された(4)。このような内容の不安定面に関連して更に注意されるのは、(甲)の十戒が有する在家的色彩である。楠山春樹氏は、(甲)の「天尊十戒」は『梵網経』の十重戒の主旨とほとんど一致することを指摘し、その影響関係を示唆しておられる(5)。また、(乙)には、語彙レベルでの明確な摂取ではないが、十善戒の影響を窺わせる句が含まれる。例えば、第五戒に「口に悪言無く、言に華綺せず、内外中直にして、口過を犯さざれ」が、妄語・両舌・悪口・綺語を禁じる十善戒の影響を免れるとは考え難い。つまり、出家伝戒儀の形式は仏教の沙弥授戒儀からとられたようであるが、戒の内容は、むしろ大乗仏教の戒に似ている。更に奇異に見えるのは、(甲)第二戒(乙)第三・四戒では、不淫もしくは不邪淫に関して、諸本で表現が一定しないことである。(乙)に至っては、諸本に明示される「不淫」「不色」が「不欺」「不貪」に変更されているため、淫に関する戒が消えてしまっている(6)。(丙)の第九戒は「不忠不孝」を戒めており、在家的といえる。このように、道教の出家伝戒儀において、「淫」に関わる戒が変更されて便宜的に用いられたり、在家的な特色を有していることは、これらの戒がもともとは在家者のために作られたことを想起させる。(実際、『定志経』の十戒が在家のために説かれたことは、『定志経』の性格からしても明らかである。)このような便宜的とも言える措置がとられることの背景に、どのような事情が考えられるであろうか。ここで想起されるのは、尾崎正治氏が提出された、本来、在家的な傾向が顕著であった道教の道士たちが出家とされてゆくのは、唐代の国家的な道教政策のもとに進められたことによるとの見解である。この尾崎氏の結論は『三洞奉道科戒營始』(『科誡儀範』の道蔵本)に拠るところが大きいのが、尾崎氏は同書を唐初の成立として論じておられる。報告者は、吉岡義豊・小林正美氏の説に理があると考えて、梁代成書説をとるが、この立場から尾崎氏の議論を梁代にスライドさせれば、その頃、国家主導で道士が外発的に出家化していったものと考えられる。小林正美氏は、「宋・斉・梁・陳の皇帝や王侯たちは道士のために道館を建てたり、道館の整備を援助したり、あるいは道館で修行をすることもあったようである」と述べている(7)。もともと、出家道士のための統合的な規範をもたない道教は、このような王朝による大規模な修行場の整備に合わせて、従来の在家的な規範を、出家のための規範へと便宜的に転用していかざるをえなかったのではなかろうか。勿論、板野長八氏が指摘するように、後漢末魏晋時代の逸民たちは、時に妻子を捨てて真を求めるような脱俗の志向を執る。彼等が、仏教や道教の中に入って、出家的な生活を送ることは自然のなりゆきともいえるであろう(8)。四、道教の法位体系における出家伝戒儀の位置について梁武帝末期から唐代前半期、さらには北宋期にかけて、道教の法位体系の中で「出家戒」の置かれる位置について見ておきたい。出家伝戒儀の形式が固定的・安定的であったのに比すると、そこには若干の変動が見られるものの、唐代から宋代の頃には道士としての一定の昇進の段階で与えられるような想定が出来てきたようである。しかし、宋代以降になると、戒についての情報量は極端に少なくなり、法位体系における戒の位置づけを知ることは困難になる。しかし、具体的な点を述べる前に、道教の法位体系の形成という、道教史の基本に関わることについて簡単に解説しておきたい。(1)道教の法位体系について――一般的解説六朝・隋・唐期にわたって進行する道教の形成発展の歴史は、一面においては道士の法位が階層化され、その階層化を通じて道教が体系化されてゆく歴史であったと見ることができる(9)。道教の起源は多元的で、出自を異にする種々の文献をともなう伝統が束ねられてひとつに収束してゆく。後漢時代の、老子信仰と張天師の宗教コミュニティを核とする、五斗米道に発する天師道の伝統、前漢・新・後漢の王朝周辺にくすぶる太平経の伝統、西晋・東晋期頃から江南呉の地方に蓄積されて、やがて三洞として総括されることになる三皇経、上清経、霊宝経等の伝統などがせめぎあっていた。それらの中で、大雑把には、天師道の?→老子道徳経→三皇経→霊宝経→上清経という流れに沿って、順次に経典を授与することによって昇進する道士の位階制度が形成される。道士は、昇進するごとに特定の経とそれに367