ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL対応する?・戒その他の文書類の一組を授与され、大道の臣下としてのより高い法位を獲得してゆくことになる。このような、下位から上位に移動する法位のフローが形成されることで、出自を異にする道教経典はあたかも一連のものであるかのごとくに集大成されてゆく。それは、五世紀に劉宋の陸修静が明帝(在位四六五―四七二)の勅に応じて朝廷に道教経典の目録、『三洞経書目録』を献上する時点で最初の完成をむかえ、さらに梁代に至るまでに、三洞四輔の体系を具えてより多くの典籍が集成される、拡張された統合が完成された。その完成形態を示すのが、梁武帝末期の成書(成書年代については学者の見解が割れる)と見られる金明七真編『三洞奉道科戒營始』である。上に見てきた(甲)が収められる文献である。しかし、前述の通り、出自を異にする伝統の束である道教にはもともと全体を統合する出家の規範というものは存在しなかった。法位体系の中に出家戒をどう位置づけるかは、梁代になって道教徒が向かい合う新しい課題であった。(2)六朝末から唐代前半期にかけての出家戒の位置の変更いま、複雑な考証を省いて結論だけを示す。『三洞奉道科誡儀範』の「法次儀」には、当時想定された法位の一覧が「正一法位」として収められている。この一覧の中に出家戒の位置が直接明示されるわけではないが、間接的に検証することは可能である。「度人儀」で示されるように、出家は「天尊十戒」を持することを条件とするが、「正一法位」でこれに相当する法位が、やはり同じく「天尊十戒」(と「十四持身品」)を修めることを条件として得られる「老子青糸金鈕弟子」である(10)。この法位は、正一の諸?を授かる段階と三洞経典を授かる段階との間に設けられた、『道徳経』とそれに関連する諸々の文書・物品を授与される段階である(11)。『道徳経』の伝授と天尊十戒の授与が密接に関連すること(またこの天尊十戒が「清信弟子」の称号とも結びついて敦煌遺書にも見えること)は、楠山氏とシッペール氏によって指摘されてきた(12)。『科誡儀範』においては、正一?に関わる法位から三洞に関わる法位に移るその間に、出家の段階が想定されていたと見てよいであろう。唐玄宗期の道士、張萬福の場合はどうであろうか。彼は「天尊十戒」の授与よりもかなり早い段階に「新出家が受ける所の戒」として新たに「初真戒」の授与を導入する。これは、「天尊十戒」が出家戒としての地位を失ったことをも意味する。新たな出家戒の伝授の機会は、?生よりも後、正一弟子や男官女官の手前、という正一?を受ける位階の只中に置かれるのである。『科誡儀範』に比べて出家の地位がかなり早い段階に設けられているといえるであろう。(おそらく、現実の出家がかなり早い段階から行われたことに合わせて、出家伝戒の時期を早めたのであろう。)なお、張萬福が導入した「初真戒」は、『太上洞玄靈寳出家因縁經』[SN三三九]に載せる十戒からなる「初真誡」であり、その内容は、(丙)の「初真十戒」とは異なる(その前身というべき)ものである(13)。(3)北宋期の位階体系と出家の時機、そしてその後以上から、六朝末から唐代前半期にかけて、道教の位階制度の中で出家の時期の設定が試行錯誤の中にあったことがうかがわれる。次に、宋代の資料に目をやるとき、位階体系の表現が著しく変化する中で、出家伝戒の時期は張萬福が調整した位置に定まりつつあったことが見えてくるように思われる。北宋のごく初期にまとめられた、孫夷中(一〇〇三)『三洞修道儀』において、出家伝戒儀がどのように位置づけ得るかを見てみたい。『三洞修道儀』によると、七歳で「?生弟子」となった男信と、十歳から「南生弟子」と称するようになった女信が、師門で陶冶を受けて「三戒」・「五戒」を得て、葷血(なまぐさ)を避けるようになり、その後結婚せずに十五歳になったところで師に請うて「出家」して戒律を稟受する。その学びに精通してきた時点で、はじめて入道誓戒し、「三師」によって「智慧十戒弟子」を称され、定まった道衣を授与される。そこから、十部大乗の諸経法(霊宝経の法)を学ぶようになり、その学びの過程で「初真八十一戒」を得ることになり、「太上初真弟子」と称することになる。本書においては、「清信弟子」や「初真」という語の用法が六朝末から唐代にかけてのものとは大幅に異なっているという印象を受ける。『三洞修道儀』では「清信弟子」(彼等は黄赤の法を行うとされる。)は世俗の既婚女性を指す用語とされ、出家ではな368