ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

研究ノート:道教の出家戒に関する覚え書きい。また、「初真」は霊宝経の修行者に与えられるかなり高度な称号のようである。しかし、出家のタイミングに関しては、(道士の称号のみとりあげれば)「?生」の後であり、張萬福が「初真戒」を授与するとした時機とそれほどずれていないように思われる。なお、酒井規史氏の指摘によれば、この『三洞修道儀』の出家伝戒に用いていた伝戒儀は(乙)賈善翔『太上出家伝戒儀』である可能性が高い。『三洞修道儀』では、出家にあたって稟受すべき戒は「智慧十戒弟子」とされており、「智慧上品十戒」が授与された可能性の高いことを示唆している(14)。『三洞修道儀』に、「智慧十戒弟子」が「三師」によって称されることを言うが、この点も、度師と保挙二師の三師が伝戒儀礼に関わっているとする(乙)『太上出家傳度儀』の記述と一致するといえる。(乙)の出家伝戒儀の法位体系における位置づけは、張萬福のものとそれほど変わらないといえる。しかし、先述の通り、十戒の内容という点では『科誡儀範』とも張萬福とも異なり、しかも――おそらくは在家信徒が夫婦で行う「黄赤交接之道」を意識して――、本来の霊宝経の戒文から「淫」についての禁止事項を書き換えた、在家的な配慮によって脚色された内容となっている。もっとも、大まかに見ると、『科誡儀範』、張萬福の説、『三洞修道儀』いずれの場合をとってみても、出家のタイミングは三洞経典を受ける以前に設定されていることにかわりはない。まず出家して、それからいよいよ三洞経典を受けるという順序は、まず沙弥・沙弥尼として出家し、それからいよいよ具足戒を受けて比丘・比丘尼になる順序を想起させる。ただ、仏教の受戒に比べて、道教の場合は受戒以外に、?の伝授や道法の伝授など、様々な伝授の機会が存在するからであろうか、宋代を下ると、戒についての情報は資料のうえにあまり姿を見せなくなるように思われる。る。しかし、(丙)の存在は、道士の間に出家に際しての伝戒儀礼はなお伝えられていたことを告げるものであり、貴重な資料といえる。以上のように、六朝から明代にかけて道教の出家伝戒儀は、授戒形式は比較的安定していたものの、法位体系の中にどう位置づけるかということになると、?生以降、三洞経典を受ける前のどこか、というようなかなり大雑把なものにならざるを得なかったようである。出家戒はともかく、『科誡儀範』や張萬福が示した、法位体系に対応する受戒の体系となると、唐代以降衰える一方だったのではなかろうか。この状況に対して、新たな展開を加えたのが、一七世紀後半、清初の全真教道士王常月であった。彼は、同時代の仏教が確立する三壇伝戒の制度を模して、初真戒、中極戒、天仙戒という三種の戒を段階的に伝授する、道教にとっては前例のない授戒制度を構想した。そのうちの初真戒は、実は明代の(丙)に用いられた「初真十戒」を出家志願者に授与するもので、明代に行われていた出家伝戒の方法を受け継いで構築したものと見てよいように思われる(15)。王常月の戒法は、二十世紀に至るまで継承される。王常月の戒法が、道教の伝統的な法位体系とどのような関係にあるかは報告者にとっては緊急の研究課題である。注(1)森由利亜「道教の出家戒の成立と継承」新川登亀男編『仏教文明と世俗秩序』(二〇一五年、勉誠出版、四七一-四八九頁。)(2)拙論③一六頁参照。(3)『行事鈔』と道観の規範の関係については、都築(二〇〇二年)参照。(4)「初真十戒」の変遷については拙論①参照。(5)楠山春樹(一九八三年)「道教における十戒」『早稲田大学文学研究科紀要』二八集(一九九二年三月)、後同(一九九二)『道家思想と道教』(平河出版社)。後者一〇三頁(4)道教戒の風化と王常月による“復興”例えば、(丙)の資料が、当時の(つまり明代の)道教の法位体系の何処に属するかということは明かではない。朱権『太清玉冊』には法位の体系を載せるが、戒の制度については全く触れない。このことは、道教の位階体系の中で、戒のもつ意味が失われていったことを示唆しているのではないかと思われ参照。(6)後述の如く、(乙)の伝戒儀と親和性の高い北宋『三洞修道儀』には、男女の信徒である清真弟子と清信弟子(後述)が「其の夫婦有る者は、今時日を選び、陰陽に順いて交接を行う」として「黄赤交接之道」を行うべきことが説かれる。おそらく、このような夫婦の性交術に配慮して(乙)では「淫」の文字が削除されたのではある369