ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

雲山会上図像の形成過程と拡散上図と異なり、ガンダーラにおける一連の説法の浮き彫りは、元々「霊鷲山での説法」の意味を持っているものではなかった。だが、①同図像が大乗仏教の理念を視覚化したものであることと、②東アジアにおける大乗仏教の代表的なものが「霊鷲山での法華経説法」であることを考えると、二者が全く無関係ではないと断定するのは困難である。特に、仏陀の説法を傾聴している菩薩らが、仏陀の説法には集中せず、互いに会話を交わしている姿や、あるいは、空を眺めている姿は、意外ともいえる。しかし、この点もまた大乗仏教のモチーフによるものと考えられる。なぜなら、大乗仏教の経典には、参禅に入っている釈迦から光彩が放たれると、周囲の菩薩は神秘に思い、互いにその現象に対し討論する場面が出てくるからである。おそらく、ラホール博物館の説法図はそうしたシーンを示したものであろう。要は、かつての仏教美術は、直接に説法する仏陀を描いたものであった。それに対し、大乗仏教の美術では、「無説の説法」が象徴的に表現されているのである。Ⅲ霊山会上図像の進化ガンダーラ美術の霊山会上図は、グプタ(Gupta)時代のアジャンター石窟の第16窟の壁画においても変貌を遂げた(図4)。壁画には、多くの菩薩が三尊仏の説法を聞き、中央の仏陀は、竜王の支えている巨大な蓮華の上に座っているシーンが描かれている。また、菩薩が、ラホール博物館の説法の浮き彫りと同様に、多様な姿勢で自由奔放に座っているシーンも描かれている。現在は、剥落したところが多いが、その実測の図面によれば、三尊仏の後ろに光背と足が見えることから、仏立像が左右に立っていたと推測できる。ラホール博物館の説法図にも、多仏化現の場面とともに、「帝釈窟説法」のモチーフの仏陀が多く登場している。だが、こうした多仏思想は、初歩的な三身概念といえるものである。これは、釈迦以外の、法身と化身の概念を示しているという点で、大乗的な仏身観の反映といえよう。二身概念は、南インドのアマラヴァティ美術にも登場している。例えば、アマラヴァティの大塔を荘厳した浮き彫りの飾り版の図像を見ると、塔婆(st?pa)の前に仏陀が描かれている(図5)。塔婆とは、仏陀の入滅、すなわち、彼の死を意味するため、塔婆と仏陀が一緒に描写されることは、原則的にありえないことである。にもかかわらず、仏陀が塔婆の前に表現されているということは、仏陀の肉体的死とは別に、法身の永遠性を示唆していると思われる。すなわち、塔婆とその塔婆に刻まれた仏伝は、歴史の中の釈迦を示し、その前に立っている仏陀は人間を超越した法身としての仏陀を現わしているのである。ラホール博物館の浮き彫りやアジャンター16窟の壁画の場合は、三尊の仏陀がより強調されている。これは、唯識仏教で登場する、三身への原始的表現であると思われる。ラホール博物館の浮き彫りの場合は、中央の法身、帝釈窟の中の化身、そして、多仏化現を通じた報身による三身を「構成」したものと見られる。アジャンター石窟でもまた、石窟の正面壁面の構成を通じ、三尊概念が示されている(図6)。中央の龕室には、本尊仏の倚坐像を安置して、上述の説法図およびそれとは対称的性格を持つもう一つの説法図が中央龕室の入口の左右の大型壁面に描かれている。これは、仏殿の中に三身仏が並んで座っている姿に比肩する。このようなグプタ時代の説法図と酷似した事例は、五胡十六国時期の敦煌莫高窟にも登場している。北涼の時代に製作された272号窟の正壁龕室には、仏倚坐像が奉安されており、また、龕室内側の左右には、脇侍菩薩が描かれているのである(図7)。龕室の左右壁面には多様な菩薩が、ラホール博物館の仏説法の浮き彫りに登場する聴聞菩薩のように、秩序整然として層々に座っている。これらの菩薩像は伎楽菩薩といわれるものであるが、これらを子細に見ると、それらは音楽とは無関係なものであるようである(図8)。これら菩薩は、ラホール博物館の説法の浮き彫りと同様に、無説の説法を傾聴している場面を採用していく中で変化していったものと見られる。事実、それはヨガの姿勢をとっている菩薩と思われる。また、これは、ヨガの修行を受け入れた唯識仏教で行われるようになる、秘密ムドラー(mudr?)作法を図解したものとも推測される。ただ、北涼の時代における代表的な高僧、曇無讖(Dharmarakana、385~ 433)が初期の密教を中国へ伝来した僧侶である可能性からすれば、それが密敎修行の作法を図解したものである可能性は十分にある。南北朝時代に至って、その図像は再び変化した375