ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

??varapratipattiprak??aにおける諸主宰神論の統合方法の解明ヤガルバの内部にある内制者ということとなる.ところで,PKとPKVがシャンカラとスレーシュヴァラの真作であるか否かに関しては問題があるが,PPrと前二著は,ほぼ同じ文章が見られる等密接な関係があると考えられる.記述内容がより素朴なことから見て,これら三著はSB以前の作品であり,SBに影響を与えたことは間違いないと考える.(13)SBには以下のように説かれる.See SB 386, 387, 2:etac ca sarva? militv? saptada?aka? li?ga? jn?na?aktipr?dh?nyenahira?yagarbha iti kriy??aktipr?dh?nyenas?tram iti cocyate. ayam am?rtapad?rtha? k?ryatv?d vya??ausama??au ca j?vop?dhir eva(そして,以上全てが集って十七から成る微細身があり,[それは]知の能力が優勢であることによってヒラニヤガルバと,そして行為作用の能力が優勢であることによってスートラと呼ばれる.この無形な実体は,[無明の]結果であるので,個別体の場合にも総体の場合にも命我の限定的条件に他ならない);SB394, 2-395, 1: etat sarva? brahm????khya? vir?? iti m?rtamiti cocyate(この一切[の粗大な現象世界]は,梵卵(brahm???a)と呼ばれるヴィラージュ,有形のもの,と呼ばれる).しかしヴィラージュに関しては,それがアートマンの限定的条件であると明示されてはいない.(14)この「アートマンの四状態説」は,唯一のアートマンに,第四位,熟睡状態(主宰神の状態),夢眠状態(ヒラニヤガルバの状態),覚醒状態(ヴィラージュの状態)があるというものである.この教学の伝統は,その確実な起源をM????kyopani?ad(M???Up)の「アートマンの四足(caturpada)説」まで辿れる.この「アートマンの四足説」から「アートマンの四状態説」へという思想史的展開に関して,別の機会に論じる予定である.(15)fn. 7参照.NUTUpに見られる「羅織,認可者,認可,無分別」という概念が具体的にどのようなものであるか,筆者はまだ十分理解できていない.今後NUTUpを精読してこの点を明らかにする必要がある.(16)See PK 2, 5f.: ?ar?radvayak?ra?am ?tm?jn?na? s?bh?samavy?k?tam ity ucyate. etat k?ra?a?ar?ram ?tmana? (未発現者とは,二種の身体の原因であり,アートマンへの無知であり,顕現を伴うものである,と言われる.これがアートマンの原因としての身体(k?ra?a?ar?ra)である);PKV:?tm?jn?na? tad avyaktam avy?k?tam it?ryate / na san n?san nasadasad bhinn?bhinna? na c?tmana? //40//(そのアートマンへの無知は,未顕現なもの(avyakta),未発現なもの(avy?k?ta)と述べられる.[アートマンへの無知は]有ではなく,非有でもなく,有且つ非有でもなく,そしてアートマンから区別され且つ区別されていないのでもない).ところで,VeSにおいては未発現者(avy?k?ta)ではなく,未顕現者(avyakta)とのみ呼ばれている. See VeS 27,16-18: etadupahita? caitanya? sarvajnatvasarve?varatvasarvaniyant?tv?digu?akamavyaktam antary?m? jagatk?ra?am ??varaiti ca vyapadi?yate(そして,これによって制約された精神性は,一切智者であることと一切の支配者であることと一切の統御者であること等という属性を有し,未顕現なものであり,内制者であり,世界の原因であり,主宰神である,と言われる).PKVの例のように,両者は主宰神の状態にあるアートマンの制約者として同時に言及されることがある.またSBに関してはfn. 18参照.(17)See VeS 21, 31f.: ajn?na? tu sadasadbhy?m anirvacan?ya?trigu??tmaka? jn?navirodhi bh?var?pa? yatki?ciditi vadanti(一方無知とは,有とも非有とも述べられ得ない,三属性を本性とする,知と相反する,存在をあり方とする或るものである,と[或る者達は]言う).VeSの時代までにはマーヤーと無知(ajn?na),無明(avidy?)は同一視されるようになっている.中村[1996] p. 300参照.SBに関しては眞鍋[f.]参照.(18)しかし,SBにおいて種子は,主宰神の限定的条件である未発現者の能力とされている.See SB 372, 7-374, 1:tatra s?bh?s?vidy? m?rt?m?rtaprapancab?ja?aktir?p? tadajanyatve’pi tanniv?ttau nivartam?natvena tadvy?pyai? caitanyatatsa?bandhaj?ve?varavibh?gacid?bh?sai?sah?n?ditv?d avy?k?tamity ucyate. aya? c?vy?k?tapad?rtha ??varop?dhi?(その(有形のもの,無形のもの,未発現者の)うち,有形のものと無形のもの[から成る]現象世界の種子という能力をあり方とする,[心の]顕現を伴う無明が,未発現者と言われる.それ(顕現を伴う無明)から生じていなくとも,それ(顕現を伴う無明)が消滅する時に消滅するものとして,それ(顕現を伴う無明)によって遍充される,精神性とそれ(精神性)と結合した命我と主宰神との区別を持つ心の顕現と共に始まりを持たないから.そして,この未発現者という語の対象は主宰神の限定的条件である).また,NUTUpにおいてもアートマンは種子と呼ばれている.fn. 7参照.(19)ヴォーパデーヴァとシヴァ派の教義体系における主宰神論に関しては,眞鍋[f.]参照.(20)この図1と図2は眞鍋[f.]で既に図示したものである.(21)この点に関しても眞鍋[f.]参照.眞鍋[f.]では,アドヴァイタ教学における主宰神観は,ヴォーパデーヴァの著Mukt?phalaの影響を受けたのではないかということを論じた.37