ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL西は平坦面になっているが、南側に向かって緩やかに低くなる地形を呈する。境内前面で高い地形は、奉安殿の東側、鐘楼付近で比高60cmほどである。その島状の高まりはトイレ背面で最も高くなるが、境内北西側・北側の道路に面する部分がいずれも高くなっているように、道路造成の際に盛り上げた土と思われ、本来の地形を反映しているわけではない。境内南側は鐘楼部分の高まりを除いて創建期の地形はかなり削平されていると思われる。一方、境内南とは対照的に創建期の地形を色濃く反映すると思われるのが、境内北側である。境内北側では金堂を取り囲むように西・北・東に顕著な高まりが認められる。もちろん、古代から近世までに及ぶ活動の諸痕跡で改変を受けているが、北西部分の地形は凹凸が少なく、創建期本来の地形を残していると考えられる。特に、二荒神社の西南側・西側・北東側の高まりの最高点がほぼ同じで、この部分の地形が金堂を取り囲むように存在する点が注目される。その構造から創建回廊の北西隅の地形を反映している可能性が高い。この高まりは金堂の真北、北側道路に抜ける南北小道で東西に分断されるが、その東側にも続いていくことが観察できる。南北小道から龍神宮礎石までは多くの石造物が安置されるように、改変が著しいものの、北西コーナーに比べて高まりの南北幅が広くなっている点が注目される。続く龍神宮の東側には小さな社が建つが、ここから1971年に柱穴が検出された境内北東隅までは、金堂から続く道で平坦に開削されている。金堂の東側では塔心礎の回りに基壇を示す高まりが認められ、その北側には古瓦が一括埋納された瓦塚がある。以上、境内の測量図の作成によって従来は分からなかった北側の地形が明瞭に把握できた。その成果からすると、金堂・塔の基壇の他には、北西隅のコーナー部分が創建期の回廊を反映している可能性が指摘できる。また、講堂に関しては、1989年の調査成果から二荒神社東側に想定されているが、この部分の地形は二荒神社から西側にかけての地形と一連のもので、南北幅が短いことが観察できる。一方、注目されるのは地形の改変が著しいものの龍神宮の位置である。この部分は、西側から続いてくる回廊と思われる高まりに比べて、南北に広い範囲で高まりが認められる。ここでは、地形の観察から得られる仮説として、龍神宮から西側の石造物集中域までの範囲が創建期講堂の一部である可能性を考えておく。この点は、レーダー探査の成果も踏まえて考える必要がある。【GPR・磁気探査】図2には龍角寺境内で行ったGPR探査の成果をTime-Slice平面図として表示した。金堂における全面作業以外は、発掘調査におけるトレンチのような遺構に直行する形でレーダーを引いた。A ~ Q区まで合計17区を設定して作業を行った。金堂部分には現在の基壇の範囲に強い反応が認められ、基壇の盛土範囲が良く観察できた。また、1971年の発掘でも確認している塔心礎周囲の基壇も良好な反応が確認できた。注意すべきは、現存地形から創建回廊北西隅の可能性を考えた部分、すなわちP・M・I・L区で幅8 m前後の帯状の強い反応が認められる点である。この反応はProfile図でも明確に確認できるが、L・M区の反応は規模・深さともにほぼ同じで、同規模の構造物の北西コーナーを示している可能性が高い。つまり、回廊の基壇と考えるのが自然である。龍神宮の西側部分は石造物が密集するためGPRを実施できなかったが、龍神宮の礎石に沿う形で設定したN区では、L・M区とよく似た反応を検出した。しかし、L・M区に比べて反応が幅広い点が注目される。この地点は、塔と金堂の中心ラインの北側に位置し、講堂の存在が想定できる場所である。一方、現存する仁王門の礎石部分で行った探査では金堂・塔・回廊の基壇で検出した反応は全く確認できなかった。もちろん、基壇が全て削平されている可能性も残るが、地形的に考えてもここに創建期の南門が位置する可能性は低く、近世以降に建造された仁王門と考えるべきだろう。金堂北西の高まりを回廊のコーナーと見るのであれば、南面回廊は奉安殿北側辺りに想定できるが、この地点にもやや強い反応が認められる点が注目される。この東西ライン上には鐘楼やトイレ下で検出された近世遺構も位置しており、南回廊の残存地形を利用して近世建物が建造された可能性も残る。以上のGPR成果は、地形測量の成果とも符合し、創建期伽藍の配置のおよその推定が可能になったと考える。次に、二荒神社西側斜面地の分析について述べる。二荒神社の西側斜面地には大きく凹んだ平坦地があり、その下に境内北側から続く切り通しの東西道路が位置する。この平坦面と切り通しの崖面に火388