ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

デジタル技術・非破壊的手法を用いた古代寺院における伽藍配置の調査研究をうけた古瓦が多く集中するため、この平坦面に窯が存在する可能性も考え、磁気探査・GPR探査を行った。結果、磁気探査においてほとんど反応が認められず、窯の存在はほぼ否定できた。また、GPR探査でも顕著な反応は認められず、従来の見解通り、火災の後に境内の瓦を一括して廃棄した場所と考えられる。ただし、平坦面には岩屋古墳の石室と同じ貝化石を含む砂岩の破片が散乱しているなど、この廃棄地点の時期や意義についても、今後検討を行う必要がある。以上、測量・GPR探査・磁気探査の成果を総合すると、従来の研究とは異なる伽藍配置が想定できた。これらの新知見を踏まえた上で、過去の調査成果の再整理、新たな発掘調査を進め、龍角寺の創建伽藍の配置やその後の変遷について考察していく必要がある。4.SfM・3Dスキャナーを用いた実測Ⅱ期調査では、金堂・龍神宮・仁王門・鐘楼の礎石、及び塔心礎について3Dスキャナー・SfMを用いた三次元化を行った。3Dスキャナーは、Creaform社のExaScanを使用し、SfMはAGI社のPhotoScanを用いた。3Dスキャナーを用いてサーフィス解像度1mmで実測したデータは、人が実測・表現できるレベルを遥かに超えた緻密さで、トータルステーションを用いた位置情報を与える作業によって、三次元空間の中で位置付けることも可能である。一方、SfMを用いて作成した3D画像は非常に鮮明で、遺構情報の記録として非常に将来性のある方法である。SfMとは、写真から3Dモデルを作成する技術である。もちろん、クリアしなければならない様々な問題もあるが、今後の可能性を探る意味でも実測における3D化作業に力を入れていく必要がある。5.創建伽藍の配置と軸線の変遷ここまでⅡ期調査で行った作業に関して、その概要を整理した。最後に、地形測量・GPR探査を踏まえた上で、遺構の主軸に着目して龍角寺の主要遺構の変遷に関してまとめてみたい。龍角寺の各遺構には軸線に明確な規則性が認められる点がわかる。まず、金堂の軸線から見てみる。金堂は1971年の発掘で創建基壇が確認され、当時の認識では真北に近い軸線をとると認識されていたが、世界測地系の正確な測量成果からすると、最も真北に近いのは礎石を残す元禄金堂である。本調査では、この元禄金堂を主軸として局地座標系を構築したため、偶然ではあるが世界測地系とほぼ同じ方位を持つことになっていた。創建基壇の軸線を金堂北西の推定回廊から算出すると、北に対して4度07分反時計に傾く軸線が導き出せるが、その軸線を塔心礎に当てはめると東西軸線は現在の金堂基壇のやや北側に偏った位置を示す。この点は、1971年の発掘で創建金堂の東・南・西に基壇が増築されたという記述と合致し、創建金堂の中心点がやや北側に位置する現象を理解できる。北西の推定回廊、塔と金堂を結んだ軸線を「軸A」としておく。一方、本調査の金堂S=1/20の実測によって明らかになった元禄金堂と基壇の軸線が異なる点に注目すると、現基壇の軸線は南階段・東西階段の位置から導き出すことができ、西に1度29分傾く「軸B」が認識できる。では元禄金堂の軸線はというと、東に0度53分しか振れていない「軸C」で、ほぼ正北位を意識していると思われる。つまり、金堂に関しては創建時に北西側に傾いた軸線を持っていたものから、A→B→Cの3時期の変遷によって正北位に保持されたと認識できそうである。この金堂の軸線変化に対して、他の遺構の軸線を比較する。注目されるのは、仁王門・鐘楼・トイレ下層遺構の軸線である。これらの遺構はいずれも近世の建造物とみられるが、東に3度38分傾く「軸a」である。しかし、これらの遺構が存在した近世においても本尊薬師如来は金堂に安置されていたはずで、本来ならば仁王門と金堂の軸線は一致してしかるべきだと思われるが、実際には北東側を向いている。この事実を理解する上で重要なのは、現在の龍角寺正面階段から南に伸びる道路が、仁王門とほぼ同じ軸線を持っている点である。すなわち、仁王門は江戸の参道を意識した方位を持っている可能性がある。一方、これら寺院とは全く異なる軸線を持っているのが、境内の神社である。龍神宮は東に14度23分傾く「軸b」であり、二荒神社も江戸の寺院の方位とは異なる。二荒神社は創建回廊の基壇の高まりを利用して造営されたものと思われ、「軸A」に合致するが、これら寺院内の神社が建立時の寺の方位に規制を受けなかった事実を読み取れる。389