ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL NO. 3 (2015. 10)国際シンポジウム漱石の現代性を語る国際シンポジウム漱石の現代性を語る開催にあたって中島国彦Welcome MessageKunihiko NAKAJIMA夏目漱石は、1906年(明治39)10月21日付の、若い門下生森田草平に宛てた書簡で、「功業は百歳の後に価値が定まる」と書き、さらに「余は吾文を以て百代の後に伝へんと欲するの野心家なり」と文学に対する強い意欲を示した。小説を書き出した翌年の、39歳の時のことである。100年以上も前に書かれた漱石作品が、現在でも幅広く読み継がれていることからもわかるように、その言葉は確かに実現しているといえよう。「百代の後」の読者は、わたくしたちであるが、ただ昔から読まれている作家だからとして読んでいるのではなく、過去に書かれた作品が生き生きとした現代性を持っていること、何度読んでも作品の汲み尽せぬ魅力が新たに発見できることが、漱石を読む喜びと結び付いている。漱石は時代に対する鋭い批評眼を持っている、自分たちにもつながる人間の苦悩を描き出しているなどと、現在さまざまな意味合いで言及されているが、そうした漱石の姿にこそ、他の近代文学者にはない特質が示されているのである。間もなく、2016年には漱石歿後100年、2017年には生誕150年がやって来る。漱石が生れた牛込馬場下横町も、晩年を過ごした早稲田南町も、いずれも早稲田大学にきわめて近い場所にある。また、その若き日、早稲田大学の前身、東京専門学校で英語の講師をつとめていたという事実もある。漱石のゆかりの地に近く、つながりもある早稲田大学で、現在、総合人文科学研究センターの一部門として活動を継続しており、50年以上の歴史を持つ「早稲田大学比較文学研究室」が中心になって、漱石に関する国際シンポジウムを開くことができるのは、大変喜ばしいことである。今回の学術研究集会で、漱石を今どのように読むかを考え、漱石の現代性を多角的に分析するに当たって、いくつかの点に留意することとした。第1部の公開講演では、「漱石へのアプローチ」として、漱石と外国文学とのつながりをまず考え、更に科学への関心など文学以外の世界とのつながりにも照明を与えることとした。また、海外の漱石研究者もまじえて開く第2部のシンポジウムでは、未完だが漱石文学の到達点ともいえる『明暗』を対象に、その言語宇宙を解明しようとした。文学者の真の営為は、文学者を取り巻くさまざまな「伝記的事実」や、作家や作品に対する興味から生れた表面的な「現象」の中にあるのではなく、あくまでも作品の「言葉の世界」にあると考えられるからである。作品の一節、そのディテイルから、どのような思いもかけない世界が開けていくか、それを皆で確かめられる場であったらと思う。また、日取りを変えて、海外での漱石研究の現状をテーマにしたワークショップも計画した。今回集まったのは、いずれも早稲田大学で学んだ経歴を持ち、現在それぞれの場所で活躍している方々である。そうした人々が、一日漱石について、それぞれの思いを込めて語る場が実現したことは、本当にうれしい。協力して下さった皆様に、改めてお礼を申し上げたい。397