ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL(22)fn. 18参照.(23)See ?PP 7, 13f.: tatra sad??ivo nir?k?ra? cetinirup?dhicaitanyasvar?pa? siddha eka?(その(ヴォーパデーヴァ説とシヴァ派の教義体系とにおける各五神の)うち,サダーシヴァと無形相な者とは,限定的条件を欠いた(nirup?dhi),精神性を本質とする者(caitanyasvar?pa)として成立している,唯一者(eka)である).(24)例えば,?PPには以下のような記述がある.See?PP 4, 17f.: ved?ntavedya? saccid?nandar?pa? sarvajna?sarva?akti? sarvajagadup?d?na? nimitta? ca param?tmaivaparame?vara iti brahmav?dina?(ヴェーダーンタによって知られる,有・知・歓喜(saccid?nanda)をあり方とし,一切知者(sarvajna)であり,一切の能力(sarva?akti)を有し,一切世界の質料因(up?d?na)であり,且つ契機因(nimitta)である最高のアートマンこそが最高神である,とブラフマン論者は[考える]).(25)See PK 2, 13f.: aham ?tm? s?k?? kevala? cinm?trasvar?pa?,n?jn?na? n?pi tatk?ryam(私はアートマンであり,目撃者であり,独存者であり,心のみを本質とするものであり,無知ではなく,その結果でもない);PKV:param?nandasa?dohav?sudevo’ham om iti / jn?tv? vivecaka?citta? tats?k?i?i vil?payet //51//(私は,最高の歓喜であり,充満した者であり,ヴァースデーヴァであり,オームである,と知って,識別者である心を,その目撃者に融解せしめよ.)(26)図3も眞鍋[f.]において既出である.また,命我もヴィシュヴァ,タイジャサ,プラージュニャという三様の姿を取ると言われる.SB 370, 1-371, 1参照.しかし,この図3では省略した.(27)しかしGupta[2006]によれば,マドゥスーダナのAdvaitasiddhi(AS)においては,絶対者ブラフマン,目撃者,主宰神,命我は全て概念的に異なるものとされる.Gupta[2006] pp 88-99参照.従って,ASにおけるブラフマン観や目撃者観と,?PPにおけるブラフマン観や目撃者観とにはズレがあることが予想される.このズレが本当に存在するのか否か,またその場合,マドゥスーダナのブラフマン観や目撃者観に関して統一的な見解を導き出せるか否かに関して,ASやその他の彼の著作を精読し,検討する必要があろう.(28)この点に関しては眞鍋[f.]参照.(29)因みに,PPにおいては,マドゥスーダナはヴィシュヌ派の一派サートヴァタ派(s?tvata)の見解として本稿で検討したアドヴァイタ教学化したヴィユーハ説を述べるが,?PPにおいては自説として同説を述べる.そのため,マドゥスーダナの思想に何らかの変化があったことが予想されるが,この点に関しては,?PPの真作問題も含め,彼の他の有神論的著作を検討する必要がある.38