ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL次に見るのは、二葉亭四迷による「赤い笑」の翻訳、「血笑記」の一部分です。志願兵が何か言はうとして口元を動かした時、不思議な、奇怪な、何とも合点の行かぬ事が起つた。右の頬へふわりと生温い風が吹付けて、私はガクッとなつた――唯其丈だつたが、眼前には今迄蒼褪めた面の在つた処に、何だかプツリと丈の蹙つた、真紅な物が見えて、其処から鮮血が栓を抜いた壜の口からでも出るように、ドクドクと流れてゐる所は、拙い絵看板に能く有る図だ。で、そのプツリと切れた真紅な物から血がドクドクと流れる処に、歯の無い顔でニタリと笑つて赤い笑の名残が見える。/これには見覚えがある。之を尋ねて漸く尋ね当てたのだ。其処らの手が?げ、足が千切れ、微塵になつた、奇怪な人体の上に浮いて見える物を何かと思つたら、是だつた、赤い笑だつた。空にも其が見える。太陽にも見える。今に此赤い笑が地球全体に拡がるだらう。(筑摩書房版『二葉亭四迷全集第三巻』P. 518)「諸君!」と私は大声出してドクトルの話を奪つて、「助けて呉れェ!また赤い笑声が聞える!」月も赤くなる、日も赤くなる、毛物の毛も赤い愉快な毛となる。余り白いと、余り白いとな、それ、その皮を引剥いでやらうといふものだ……諸君は血を飲むだことがあるか?血は少し黏々する物だ、少し生温かな物だ、其代り真紅な物だ。而して血が笑ふと、真紅な愉快な笑声が聞る!……(同上P. 543)実際のところ、「それから」の作品中ではアンドレーエフに対する直接に言及としては、「赤い笑」とは別の作品「七死刑囚物語」に触れている箇所があるのみです。じつは、「それから」とアンドレーエフの関係については、ちょうど30年前、森田芳光監督の映画公開とちょうど同時期の1985年の4月に、藤井省三さんの「ロシアの影夏目漱石と魯迅」(1)という著書が出ており、また、これと配布しましたレジュメの裏面のリストにある小平武さんの論文にも詳しく述べられています(2)。今日のお話は、それ以上具体的に、また、深いお話しはできません。きわめて雑ぱくな、大雑把なお話しで失礼をさせていただきます。ここからは、少し、その藤井さんの著書を引用させていただきながら、話を進めます。なお、ちょうど30年前、この藤井さんの出たのと同時に、わたくしは早稲田の大学院に入って、修士論文を書き始めたときにこの本を読ませていただきました。この本は、わたしの研究生活の出発点のひとつであることについて、あらかじめ、ひと言申し述べておきます。まず、最初に何か所か引用します。レオニド・アンドレーエフ――その存在は今日ではほとんど忘れ去られているが、二〇世紀初頭においては彼の母国ロシアはもとより、欧米・日本・中国で競って読まれ論じられた世界的文学者であった。彼が描き出した不安と恐怖の心理とは、第一革命後におけるロシア知識人の精神的混迷を色濃く反映したものである。(藤井:P. 4下線――源[註1の文献。以下、頁数のみを同様に示す])戦前アメリカにおいてロシア文学を研究していたA・S・カウン(一八八九~一九四四)は、その大著『レオニド・アンドレーエフ――その批評と研究』(一九二四年)の冒頭において、新思想を掲げていたわけでもなかったアンドレーエフが、世界文学に対して強い影響力を有していた理由を、つぎのように述べている[以下略](藤井:P. 25下線――源)柳富子氏はというエッセイで、[中略]『早稲田文学』でしばしばアンドレーエフが紹介されたことに触れて次のように述べている。(藤井:P.226)藤井省三さんがここで引いている、柳富子先生の論文の引用は次のとおりです。すでに本国でも日本でも顧みられなくなって久しいアンドレーエフがなぜ明治末期のわが国でこれほど問題にされたのか奇異な感じを覚えずにいられない。(柳富子「『早稲田文学』とロシア文学」『比較文学年誌』第6号1970年)402