ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

漱石とロシアの世紀末文学―「それから」の周辺―アンドレーエフ・ブームまずここで触れられているような、当時のアンドレーエフ・ブームということに簡単に触れておきます。明治末から大正にかけて、ロシア文学を中心とした、言わば北欧文学紹介のブームがあって、当時日本の文学者の多くが、影響を受けているばかりではなく、かなり多彩な顔ぶれの文学者たちが、みずからその紹介の仕事に携わっています。これに、さらに「それから」の作品中にも出てくるダヌンツィオなどのイタリア文学や、中欧・東欧文学の作家も注目された時代ということができます。もちろん、当時、ロシア語やスカンジナヴィア諸語等を習得して、それらの言語から直接の翻訳をなした人はごく少数であり、たいていはドイツ語や英語からの重訳だったわけですが、しかし、その仕事に関わった人びとの多くが当時第一線で活躍する文学者であり、それらの人びとの手になる翻訳作品も、オリジナルの小説作品と同じように出版界の話題となり、読者の関心を呼んだものであってみれば、ひろく日本の近代文学を考えるうえで、この時代の翻訳作品、とくに重訳作品を、オリジナルの小説作品などより劣った次元のものと考える必然性はありません(3)。なかでも知られているのは、上田敏をはじめとして、夏目漱石の周辺の人びとによる、アンドレーエフ作品の研究と紹介であって、それらの仕事は漱石自身の作品にも深い影を落としているわけです。アンドレーエフの作品は、この時期、ヨーロッパで大変なブームとなって、それが日本にも波及し、さらには魯迅・周作人兄弟の仕事にもつながって、20世紀初年代、第一次世界大戦までの世界文学の歴史のなかでは逸することのできない作家となっています。激しいブームの対象となった作家は、概して忘れ去られることもまた極端であるのが通例です。アンドレーエフもまたその例に漏れないかの観があります。本国ロシアにおいては――とくにソビエト期に入って――その後半生の〈反革命主義的〉な行動のせいもあって、否定的なあつかいを免れることができませんでした。しかし、それでもアンドレーエフは、とくにその活動の初期においてチェーホフ、ゴーリキイの同僚として活動したことから、一応、ソビエトの文学史のなかでも重要な地位を与えられていましたし、19世紀ロシアの、並みいる文豪たちにつづくかたちで、かならず名前は挙げられていました。1959年には1冊本の戯曲集(4)が、1971年には2冊本の作品集(5)が刊行され、研究書、科学アカデミーの紀要への専門家による研究論文の発表など、基本的な作家研究・作品研究のあゆみは止まることはありませんでした。それはおもて向きには、初期の文学作品が〈革命主義的〉な傾向のものであり、また、不幸なできごとに見舞われた哀れな人物を、ヒューマニスティックな視点で描く一方、当時のロシア社会の腐敗した側面を摘出して批判して見せている作品として扱われたからなのですが、ただ、ソビエト時代に細々とながらもアンドレーエフ研究が続けられていたことは、そのように政治的・イデオロギー的な理由だけからでは説明のつくことではありません。ソビエト時代の文学研究の現場というものは、表面的にはどう見えても、実際にはかなりしたたかに、アンドレーエフのような、「退廃的な」作家の研究も根気よく行なわれていたことに言及しておかなくてはなりません。その証拠に、グラスノスチ政策以後においては、早々に2冊本の戯曲集(6)が刊行され、1990年から1996年にかけては6巻本の、はじめて全集と呼べる規模の作品集(7)が刊行されました。これは、ソ連時代においても、いずれそのときのあることを期していた企画でなければならず、そこにはやはり「世界文学のなかのアンドレーエフ」という認識があったものと思われるのです。したがって、アンドレーエフは必ずしも〈忘れられた作家〉とは呼べないのですが、のちほど触れますが、もう一人、アンドレーエフに続いて大変なブームをまきおこしながら、やがては〈アンドレーエフの亜流〉とされ、ついにはほぼ完全に忘れ去られてしまった作家がおります。ミハイル・ペトローヴィチ・アルツィバーシェフ(МихаилПетровичАрцыбашев)です。じつは、そのアルツィバーシェフも、日本ではじつによく読まれ、研究され、翻訳された作家であり、大正期の日本では、あるいは最も名の知られた外国作家の範疇に属するかもしれません。しかし、ここでは、藤井さんの著書に指摘されて403