ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALいる、日本におけるアンドレーエフ受容の諸段階というものを見ておきます。引用が中心となりますが、ご了承下さい。日本のアンドレーエフ受容の諸段階(藤井省三氏による)1.アンドレーエフ受容の初期段階日本にアンドレーエフがはじめて紹介されたのは、日露戦争直後の一九〇六年であろう。この年には上田敏が短篇『旅行』を訳している。(藤井:P. 30)その後数年のあいだに、『血笑記』をはじめとして『嘘』『心』『深淵』『歯痛』『七死刑囚物語』など多数の作品が、二葉亭四迷、森?外、昇曙夢、相馬御風らによってつぎつぎと翻訳された。これらはいずれも当時、文壇内外の話題をさらい、広範な読者に読まれていた。[…]文芸評論家たちは一様にアンドレーエフの描く恐怖の感覚に驚き、その斬新なる手法に魅せられていたようである。(藤井:P. 31)2.小宮豊隆のアンドレーエフ受容小宮はアンドレーエフ文学の本質を感触しえてはいたものの、それをロシア的状況に一度還元するだけの世界認識は持ち合わせていなかった。(藤井:P. 34)3.大逆事件とアンドレーエフの政治的観点からの受容藤井氏は、荒畑寒村、相馬御風、平出修といった人たちはアンドレーエフの「七死刑囚物語」を、単に死刑というものの悲惨と無意義を説明するための作品ではないと考え、アンドレーエフ文学を、ロシア的状況における苦悩する魂の告発と読んでいたと指摘し、アンドレーエフ文学は、単なる欧米渡来の最新手法ではなく、第一革命期のロシア知識人の苦悩を代弁するものであり、大逆事件に見るような「冬の時代」を生きる日本の知識人の影であったと述べています。そして、そこにこそ「それから」へのアンドレーエフの影響があると主張しています。4.大正期のアンドレーエフ受容(アンドレーエフ文学の矮小化)日本では大正期に入ってもアンドレーエフは多数の読者を持ち続けた。[…]しかしかつて大逆事件後に相馬御風・平出修らがアンドレーエフ作品のなかに専制化しつつあった日本の状況を読みこもうとしたような時代状況への関心は、ここでは全く失われている。[…]彼ら若い世代は、もはや感性ばかりを便りとしながら一種のエキゾティシズムとしてロシア文学を読み始めていたのである。(藤井:P. 211?212)かくしてアンドレーエフの政治的メッセージは全く見失われたのである。(P. 213)漱石によるアンドレーエフの読み方このように日本におけるアンドレーエフ受容の流れの概観を背景に、藤井さんは漱石によるアンドレーエフの読み方について、次のように述べています。数年来アンドレーエフを邦訳で読み続けていたと思われる漱石が、ついに未訳の作品にも手を出すべく、門下生の小宮豊隆とともにドイツ語訳によりアンドレーエフを集中的に読みはじめるのは、一九〇九年三月のことである。当時の小宮宛書信(三月一三日)で、日数をふやすように頼むほど、この訳読会は、漱石の関心を誘ったらしい。(藤井:P. 51)藤井氏は、漱石がアンドレーエフを思想構築の糧として読み、「それから」においてアンドレーエフの手法を意識し、それを自家薬籠中のものとして、さらに日本の社会的状況を取入れて独自の文学世界を構築したと述べています。「それから」においては、アンドレーエフは決定的な影響を持つものであるのに、小宮豊隆以来のアンドレーエフの矮小化によって、漱石作品そのものの意義も「則天去私」に矮小化されて理解されるに到ったというのが藤井氏の見解です。404