ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALわるにあたって、〈死〉や〈狂気〉を概念的・分析的にではなく、風景の視覚的・聴覚的な変化とともに〈死〉〈狂気〉の恐怖がひとりの人間の意識に〈実感〉として入り込んでくる様子を、あくまで即物的・感覚的に描こうと、日本語の読みの流れを〈意識の流れ〉に近づけるべく努力している。そしてその結果、二葉亭が遺した文学作品には、19世紀ロシア文学全体を守備範囲としたうえでの、きわめて特異な〈作品の選択〉の基準が働いていると思われます。この、二葉亭が後期の翻訳作品を通して行なった追究は、個々の作品としてというよりは全体として、当時の日本の作家たちに大きな影響を与え、ないしは共鳴をひきおこしています。それは「あひびき」「めぐりあひ」から自然主義へという影響よりは深く広いものであり得るのです。あたかも時期においては、先に述べたロシア・北欧文学紹介のブームに連結していくのですが、そのとき、残念ながら二葉亭は、漱石と交互に連載小説を書くという地位を捨てて、遠くロシアへ、二度と戻らぬ旅路に就いてしまうのです。二葉亭と、漱石および魯迅のあいだを結ぶのは、アンドレーエフの「血笑記」です。また、たとえば谷崎潤一郎は、アンドレーエフの「血笑記」に限らず、二葉亭の訳したゴーリキイの短篇や、当時やはりブームの渦中にあったストリンドベリ等の強い影響を蒙っています。また、志賀直哉にも、アンドレーエフとアルツィバーシェフの影響が考えられます。そして二葉亭のあとを継ぐかたちで、アンドレーエフやアルツィバーシェフ、そのほかバリモント(КонстантинБальмонт)、ザイツェフ(БорисЗайцев)、ソログープ(ФёдорСологуб)といったロシアの世紀末的な作家の作品を紹介したのが、ロシア文学者の昇曙夢であり、?外であるという流れになります。昇曙夢の『六人集』『毒の園』といった翻訳集や、?外の『諸国物語』などに収められた作品が、当時の読書青年たち、のちの大正・昭和期の作家たちにとって青春の書であったことは、例えば、谷崎の「青春物語」のなかに、具体的な作家名、作品名とともに語られています。それら世紀末的な作品に、あるいはそれらに影響された日本の作家の作品に共通して見られるのは、いわゆるヒポコンデリー、神経衰弱――「それから」には《アンニュイ》という言葉が使われています――といったもので、実際は健康であるにもかかわらず、刺激に敏感で,自分の身体の健康状態について過剰な心配をする傾向があり,一般に異常体感,強迫観念,妄想などを呈するというのが、ヒポコンデリーというものの症状だとすれば、「それから」の冒頭をすぐに思い起こされる方も多いと思います。このような世紀末的な作品群の影響は、ときとして作家の創作にはマイナスの影響を持つようです。さきほど言及した谷崎潤一郎の「青春物語」を見ますと、「刺青」「秘密」などの鮮烈な作品によるデビューのあと、「「恐怖」「饒太郎」など、「恐怖病」への恐怖というものを背景に、作品の描く世界にも、作品そのもののスタイルにも、アパシー(倦怠感、勤勉さへの軽蔑)が拡がっています(9)。大正型の《世界文学》読書「青春物語」などを読むと、谷崎の若い頃、すなわち、日露戦争後から明治末頃にかけての、翻訳文学あるいは外国文学の読書というものが、当時の読書人の共通の精神状況を構成し、ときとして、ある種の共通の気分を創り出していたことが伺えます。そこでは、日露戦争あたりを境として、圧倒的に増大した日本の知識人・読書人たち――そこには魯迅のような留学生も含まれるわけですが――そういう読書人たちの欧米文学の読書現象というべきもの、その特徴を考えると、イギリス、フランス、ドイツの作品ばかりではなく、この頃になると、ロシアや北欧、南欧、中欧や東欧といった地域の作家、作品もよく読まれるようになります。その際、原作の言語にこだわらない読書、原語で読まなくても翻訳で読めばよい、英語訳やドイツ語訳でどんどん読む、また、日本語訳も、原典からの翻訳でなくてもよい、重訳でかまわない、といった読書のありかたが顕著であるように思われます。原語で読むという、言わば迂遠なことを敢えてせずに、ヨーロッパで話題になれば、さっそく注目する、ヨーロッパでブームになれば、遅れじとばかりに、とにかく手に入る言語の、英語やドイツ語の翻訳で読む。また、この頃のヨーロッパでは、ロシアをはじめとした、さまざまな地域の文学作品の翻訳が、かなり早いタイミングで出るようになっているという――もちろん、今日とは比べものになりませんが――406