ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

漱石の科学への関心精神でお上の権威をひっくり返そうと思って啖呵を切るなんていうセリフを聞くと、やんややんやって拍手を送りたくなるでしょう。そこで引きこまれちゃうんですね。権威のことですけれども、博士のこととかそれから教授になりたくないなんていうことですけれども。たまたまさっきこれ見てて気がついたんですが、皆さんのお手元にあるパンフレットですね。裏に「開催にあたって」って書いてあります。そこに門下生の森田草平に宛てた手紙の一節が引用されてますけども、3行目のとこかな。「余は吾文を以て百代の後に伝へんと欲する野心家なり」って書いてありますね。これは自分の気概を込めた良い言葉だと思います。これは、まだ東京帝国大学にいるときですね。ですから、専業作家になろうと自分で決心をしたときの心境を表したんじゃないかなあというふうに思うんですが。実際その通りになってますね。今日でも漱石の作品というのはこれだけ読まれてるわけですから、「余は吾文を以て百代の後に伝へんと欲する野心家なり」。その通りになったわけです。この手紙の「開催にあたって」に引用されてる前の部分に、何て書いてあるかお読みになった方いますか。すごいんですよ。「百年の後百の博士は土と化し千の教授も泥と変ず」って書いてあるんです。だから、わたしなんかもうとっくに土か泥になっちゃわなきゃいけないなって思う。つまり、博士になったってえばったり、帝国大学の教授になったといってふんぞり返ってたりしたって、そんなものは歴史の中に残りゃしないといっているわけです。今だけの話だと。たいした価値はないと。本当の価値は、作品を残してそれが100年の後、100代の後、人に評価されるどうかで勝負がつくんだと。真価が問われるんだっていうことを言ってるんです。ですから、権威主義に対していかにムキになったかっていうことが分かると思うんです。さっき博士号辞退事件のことをちょっと触れましたけれども、門下生やそれからロンドンにいるとき、奥さんに宛てた手紙の中なんかで、しばしば博士を毛嫌いする表現が目につきます。悪役にしてるんですよ。『虞美人草』に小野くんっていう帝国大学を主席で銀時計をもらって卒業して博士論文を書いてるっていう登場人物がいます。この人は確か孤児だったのかな、世話になった人の娘さんと結婚することになってたんだけども、だんだんそれが嫌になってくるんです。そこで博士論文を理由にして、結婚を延ばしてる。これも博士になる、博士になるっていうことを盛んに書いてるんです。漱石は、貧しい人間がある人の世話になってエリートの階段を登り始めようと思ったときに、何も博士ばっかり持ってこなくてもいいだろうと思うんですよね。ほかの進路や職業を選んだ人間を小説の中に登場さしてもいいと思うんですけれども、博士だ、博士だっていうことを言ってるんですね。自分もその博士になんかなるつもりがないとか、そういうものをありがたがるのはいけないということをいろんな人の手紙に書いてますけれども、これも森田草平宛ての手紙だったように記憶してるんですが、こういう啖呵切ってるんです。「漱石は乞食になっても漱石だ」って言ってるんですね。確かに、教授や博士になる必要はないと思いますよ。別になったってたいして偉かなんかないんだから。だけど、何も乞食にならんでもいいでしょう「乞食になっても漱石は漱石だ」って。これ、たとえが極端なんですよ。だから、いつもムキになると、こういう論調を使うことがよく分かると思います。寺田寅彦っていう漱石の門下生がいます。熊本の第五高等学校で漱石が英語の先生したときの新入生です。年齢が11歳しか違いませんので、最初の出会いは先生と学生だったんでしょうけれども、その後の付き合い見てるとちょっと年の離れた親友っていうふうな感じです。とても仲が良いです。この近くの早稲田南町で漱石は晩年を過ごすわけですけれども、記録を読むとほぼ毎日のように寺田寅彦が漱石の下を訪れてます。彼は一流の物理学者ですから、科学のいろいろな知識を漱石にも伝えたんだろうと思います。それがさっき言った『吾輩は猫である』の首縊りの力学だとかニュートン力学の話になって出てくるんだと思うんですけれども。寺田寅彦は漱石が亡くなったあと、追悼文の中にこういうふうに書いてるんです。漱石先生は文学者としては珍しいぐらい科学には関心が深かった。特に科学の方法論的な研究に関心を持った。ゆくゆくは自分も文学の研究に科学の手法を取り入れたいと思っていたようだけども、創作活動が忙しくてついにそれができなかったっていうことを書いてるんですが、これはさっきわたしが指摘したことに基づきますと、寺田寅彦のおべんちゃら413