ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALです。彼は一流の物理学者ですから、物理学の研究方法っていうものがどういうものかっていうのは分かってたはずです。ですから、漱石に向かって、「先生それは無謀です。意味がありません。おやめになりなさい」と言うべきだったと思うんですね。だけど、追悼文にそう書いてるっていうことは、褒めようと思ってるわけでしょう。生きてるときにおそらく、「やめなさい」ということは言わなかったんだろうと思うんです。これは寺田寅彦に責任取れって言っても無理ですけれども、やはりそれだけ親しかったんであれば、漱石の活動について関心があったんだとすれば、そういう指摘をすべきだったというふうに思います。というわけで、40歳を機に、漱石は研究者から研究される側ですね、創作活動に移るわけです。一転して、文学の科学的研究というのは失敗に終わっちゃったことを悟るわけです。あとで、ずっとあとになってからですけれども、学習院で行った「わたしの個人主義」っていう講演があるんですが、それを読みますと、自分で失敗したっていうことは言ってます。文学論や文学評論は自分がやったことの亡骸であるとか、今だとちょっと差別用語になるような表現を使ってますが、書いてます。それから、地震で壊れた市街地の廃墟のようなものだっていうことを書いてます。完全に自分のやったことが駄目だったということに気がついちゃったんだと思います。一方、小説家になって、作品を書くようになると、これは科学の知識、内容を文学作品の中にうまく溶け込ませてます。もう30年以上前なんですけれども、『猫』の首縊りの力学の原著論文、1866年にサミュエル・ホートンというイギリスの科学者が、「フィロソフィカル・マガジン」というイギリスの科学の雑誌に発表した「力学的、生理学的に見た首吊りについて」という論文を読んだことがあるんです。タイトルはちょっと物騒ですけれども、これを読んだことがあるんです。『猫』の中に、力のつり合いの式が出てくるんです。たくさんダーって、三角関数使って。そのサミュエル・ホートンの1866年の論文を、わたし見たときに、その式が出てるんですよ。あのときはちょっと感動しましたね。漱石と同じじゃないか。考えてみりゃ逆だった。漱石はそれを写したんですけれども。漱石が英語を読めるのは分かりますけれども、ただ英語を読めたって物理の内容って分かんないでしょう。たとえば、皆さんだって日本語で物理の本を読んだって分かんないでしょう。ですから、それを換骨奪胎してうまく咀嚼して小説の中に溶け込ませたということは、科学に対する知識、それから理解力が深かったんだと思います。『猫』の飼い主の苦沙弥先生ん家の隣に落雲館っていう中学校があるんです。そこで野球の練習をやってるんです。生徒の打ったボールがしょっちゅう苦沙弥先生の庭に飛び込んでくるんです。幸いに、障子破って部屋の中へ入ってきて苦沙弥先生の頭にぶつかるということはないんですけれども、しょっちゅう庭に落っこってくる。生徒が「すみません。取らしてください」なんて入ってくるとうるさいわけです。そこで、苦沙弥先生が学校に文句を言いに行くという場面があるんです。『猫』はさっきちょっと触れましたように、そこでニュートン力学使って何でボールが飛んできて、もうそのまま障子を突き破って自分の部屋の中に入ってこないのかっていう説明をちゃんとしてるんですね。面白いですよ。物理の理論を場面に合わして、活かしてユーモラスに表現するということは、内容を分かってないとできないと思います。それから、もう一つ有名なのは『三四郎』っていう作品がありますね。田舎から帝国大学に入学するため上京してきた若者の青春物語です。そこでも野々宮宗八っていう物理学者が登場します。三四郎の同郷の先輩なんです。上京したばっかりのときに同郷の先輩を訪ねていく。物理学科の実験室に行くと、光線の圧力測定っていう実験をやってるんです。光の圧力を測るという。これ、当時実際に行われてた実験です。これも寺田寅彦から論文を借りたんだと思います。わたし、それも読んだんです。やっぱり30何年前に。そうすると、ああ、分かってたんだなと思う。つまり、『三四郎』の中に漱石が書いた実験の情景、やり方と、それから原著論文っていうのはアメリカの「フィジカル・レビュー」という雑誌に載ったニコラスとハルという物理学者の実験の論文なんですが、それ読んで比較しますと、ああ、ちゃんと読んで内容を理解して、咀嚼して書いてるなあというのは分かりました。実験装置が書いてあるんですけどね。光の圧力を測定する「福神漬のような缶が置いてある」って書いてあるんです。414